読書ノート

札幌在住の26歳。読書が好きで読書感想ブログをちまちま書いています。特に推理小説が好きですが、どんなジャンルの本でも読むように心がけています。おすすめの本は通年募集中です。

これは単なる少年少女の冒険活劇ではない ーー 岡崎琢磨「夏を取り戻す」

 

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夏を取り戻す (ミステリ・フロンティア)

夏を取り戻す (ミステリ・フロンティア)

 

これは、もうすぐ21世紀がやってくる、というころに起きた、愛すべき子どもたちの闘いの物語です。――不可能状況から煙のように消え去ってみせる子どもたちと、そのトリックの解明に挑む大人の知恵比べ。単なる家出と思われた子どもたちの連続失踪事件は、次第に地域全体を巻き込む大事件となっていった! いま最も将来を嘱望される俊英が新境地を切り拓く、渾身の傑作長編。ミステリ・フロンティア100冊刊行記念特別書き下ろし、遂に刊行!

 

東京創元社の新進気鋭作家を押し出すレーベル、ミステリ・フロンティアの記念すべき100冊目の作品、というかもう100冊なんですね。早い。ミステリ・フロンティアの作品も結構読んでます。「アヒルと鴨のコインロッカー」「夢見る黄金地球儀」「折れた竜骨」「Y駅発夜行バス」「サーチライトと誘蛾灯」など、面白いミステリ作品がわんさかあります。

 

そのレーベルの100冊目の節目として岡崎さんが指名されたそうで。いやー、相当なプレッシャーだったんじゃないでしょうか、自分だったら断ってしまいそうです。それで上梓されたのが「夏を取り戻す」という作品です。簡潔でいいタイトルですよね、夏を取り戻す。失った夏を取り戻すでも、過ぎ去った夏を取り戻すでもなくて、夏を取り戻す。

 

「夏を取り戻す」はその100冊目にふさわしく、とてもうまくまとまっている作品だと思いました。 作品紹介に書いてるように、児童連続失踪事件の正体は、子供達によるトリックな訳なのですが、このトリックが等身大のトリックであるという点がとてもおもしろいです。現実問題として、こんなトリックを子供達が思いつくわけがない、と思う一方で、もしかしたらいまの子供たちなら思いつくのかもしれないと思わせる絶妙なレベル感のトリック、そしてそのトリックの瓦解の仕方がいかにも子供らしくてクスッとします。

 

そして子供達の思惑とそれぞれの思惑が、物語をより深みのあるものに変えているような気がしました。物語の展開はオーソドックスで予測がつくいっぽう、小手先のトリックだけの物語ではない、芯のある物語が書かれている、そんな作品でした。

 

単なるジュブナイルものでもなく、記者ものでもなく、いうなれば地域ミステリ、というのは、今までありそうでなかったような気がしますね。とっても面白かったです。

WW2後のドイツを追体験する ーー深緑野分「ベルリンは晴れているか」

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ベルリンは晴れているか (単行本)

ベルリンは晴れているか (単行本)

 

 

戦争が終わった。
瓦礫の街で彼女の目に映る空は何色か
ヒトラー亡き後、焦土と化したベルリンでひとりの男が死んだ
孤独な少女の旅路の果てに明かされる真実とは

1945年7月。ナチス・ドイツが戦争に敗れ米ソ英仏の4ヵ国統治下におかれたベルリン。ソ連と西側諸国が対立しつつある状況下で、ドイツ人少女アウグステの恩人にあたる男が、ソ連領域で米国製の歯磨き粉に含まれた毒により不審な死を遂げる。米国の兵員食堂で働くアウグステは疑いの目を向けられつつ、彼の甥に訃報を伝えるべく旅立つ。しかしなぜか陽気な泥棒を道連れにする羽目になり――ふたりはそれぞれの思惑を胸に、荒廃した街を歩きはじめる。


深緑野分さんは「オーブランの少女」でミステリーズ!新人賞佳作に選ばれたのち、「戦場のコックたち」で直木賞候補・本屋大賞候補となった作家だ。

2010年にミステリーズ!に初出していこう8年間で4作と作品数は多くないが、丁寧な下調べと臨場感あふれる筆致で書かれた作品は、まるで海外作家の翻訳を読んでいるような、心地よい錯覚に陥らせてくれる、日本では珍しい小説家だと思う。

前作「分かれ道ノストラダムス」は、正直言えば、深緑さんの良さが失われた、お世辞にも、あまり良い作品とは思えなかっただけに、今作は、タイトルから「これは楽しみ!」と期待していた。なぜならタイトルが「ベルリンは晴れているか」だったから。どう考えても、第二次世界大戦をテーマにしているのは一目瞭然だった。

 


僕は高校の受験科目で世界史を選択していなかったため、読む前にまずは第二次世界大戦前後のドイツを中心とした諸外国の状況を頭に整理することにした。

まずドイツの対内的関係では、ヒトラー総裁率いるナチス=ドイツが、ドイツの共産主義者や無所属者、ユダヤ人、障害者や同性愛者などを排斥するナチズム(=民族主義)の考えのもと、大量殺戮(ホロコースト)を行なっていた。ユダヤ人を労働力確保と騙して殺害していったアウシュヴィッツ強制収容所がその代表である。なお、強制収容所での悲惨さを綴った書籍として「夜と霧」や「アウシュヴィッツの図書係」を紹介する。

 

夜と霧 新版

夜と霧 新版

 

 

アウシュヴィッツの図書係 (集英社文芸単行本)

アウシュヴィッツの図書係 (集英社文芸単行本)

 

 

一方対外的関係では、ドイツはポーランドに侵攻し征服する。その後西ヨーロッパ諸国を侵攻し、フランスまで領土を拡大する。ここまでの戦局はドイツが優位に進んだが、アメリカの後ろ盾があるイギリスに遁走、標的をソ連へと変更するも返り討ちにあい、無条件降伏をすることとなった。その後、ヒトラーが自害したドイツは、「ベルリン宣言」によりアメリカ・イギリス・フランス・ソ連の4カ国による統治がなされ、1949年にはドイツが東西に分裂する。この分裂は1990年のベルリンの壁の崩壊に始まったドイツ再統一まで続くこととなる。

というのが、第二次世界大戦前後のドイツ、ひいてはベルリンの状況である。

 

さて、「ベルリンは晴れているか」は、第二次世界大戦終了後、諸外国の統治下にあったベルリンの、アメリカ軍の兵員食堂で働くドイツ人(アーリア人)の少女アウグステ・ニッケルが主人公となり、一人の死の真相を追い求めるミステリ小説である。

アウグステは、歯磨き粉で毒殺された恩師クリストフ・ローレンツの死を甥エーリヒ・フォルストに伝えるために、NKVDというソ連の内部人民委員部の後ろ盾のもと旅をすることになる。
道中、ユダヤ人俳優のファイビッシュカフカ、4分の1ユダヤ人として断種されたヴァルター、男色家ゆえに迫害されたハンスとともにさまざまな事件に巻き込まれるが、ユダヤ人・ドイツ共産主義者、残ナチス、イギリス軍、ソ連赤軍アメリカ軍との関わり合いの中で、アウグステは成長していく。

 


物語は、アウグステの過去を綴った幕間(インタールード)を挟みながら綴られていく。本筋もインタールードも、当時の記憶を追体験するような、まるで当時を体験してきたかのような克明な筆致に感服する。そして500ページ弱ある物語にどんどん夢中にさせられる。
ただ、読者は、なぜアウグステはそこまでエーリヒに会うことに固執するのか、なぜカフカは逃げ出さないのか、なぜNKVDは自らエーリヒを招集しないのか、について悶々としながら読み進めていくことにもなる。

そして物語は最終局面を迎えた後、自供、追想、そしてエピローグへと続いていく。戦争が終わったとはいえ、長い氷河期のような時代、ハッピーエンドになったとは言えないが、生きているだけでマシと言える形で物語は幕を閉じる。

 


しかし、細かな歴史的表現と演出、登場人物の来歴に基づくセリフや機微など、歴史小説として圧倒的だった分、ミステリ小説としては、「奇妙な味」とは言えないすっきりしなさが残った作品となった。もちろん作者として、あえて書かないという選択をしたのかもしれないが、肝心の殺人事件の根幹は読者が類推するしかないように感じた。

例えば以下のことが疑問として残った(すこしぼかした記載に)

  • 彼女は足が不自由であったのに、ヴァルターとハンスはなぜ彼女から今まで逃げる機会がなかったのか
    →単なる地理的要因?
  • クリストフはなぜ殺される原因となったことをしていたのか
    →これがわからない
  • クリストフはなぜ歯を磨いたのか
    →珍しく寝坊して朝の日課をサボった、という記載から想像できる
  • アウグステはなぜエーリヒの名がなくともNKVDに好意的な扱いを受けていたのか
    →これもわからない
  • クリストフの妻とアウグステの関係性
    →これも実際のところはよくわからない
  • 1945年当時の技術で、白骨からヒ素化合物を検出することができるのか、またそのような手間をかけるのだろうか
    →まぁ、きっとなにかあったんでしょう。と有耶無耶にされそうな気がしないでもなのだけれど、死因を特定する意志や技術はあったんだろうか


そんなところで、歴史的表現が超一流な分、ミステリの部分が気になってしまったという細かいお話でした。でも物語はとても面白い。


ちなみに、第二次世界大戦終了後、ユダヤ人の迫害を悔やみ、ユダヤ人への対応は、人一倍気を使っているのだそうだけれど、一方で未だに「反ユダヤ主義」的な過激思想を持った人々がいるということも忘れてはいけない。この物語は過去の物語ではなく、今も続く物語なのである。

www.nhk.or.jp

 

深緑さんが寄稿する「たべるのがおそいVol.6」も楽しみだ。

 

 

文学ムック たべるのがおそい vol.6

文学ムック たべるのがおそい vol.6

 

 

 

読書好きの読書好きによる読書好きのための本 ーー「本の虫の本」(創元社)

いきなりだけれど、僕は本を読むことが好きだ。読書が好きだ。対外的に見ても、たくさんの本を読んでいる部類だと思う。世の中には全く本を読まない人達がいる一方、上を見れば、この人は本を食べて生きているのではないかと思えるぐらい、山積みの本の中で生活している人たちもいる。ウンベルト・エーコは本宅と別荘合わせて5万冊の蔵書をもっていたというし、井上ひさしは一日30冊読んでいたというし、立花隆は本のためのビルを所有しているという。

 

電子書籍が広まって以降、一読しかしないであろう本や長編シリーズもの、漫画・雑誌などは積極的に電子媒体で購入を行ってきたが、それでも電子化100%とはいかず、専門書や古い小説やお気に入りの本などは紙媒体で保管しておきたくなる。

 

保管のしかたも人それぞれだ。僕はくたっとした本が好きだから、帯や栞をなくしても愛着が湧くし、たくさんのドッグイヤーもぼさぼさになったスピン、開き癖、ヤケ、それも生活の証だとポジティブにとらえられる。一方で、スリーブをつけ、日の当たらず風通しのよい本棚に保管をし、読むときには完全に開き切らないようにする、それぐらい本を丁寧に扱う人もいる。

 

たくさんの本を収集している人、読んでいる人、本にこだわりがある人、装丁が好きな人…、そんな本に魅せられた人たちを「本の虫」と呼ぶ。英語でもBookwormというのだから、本の虫は世界標準だ。

 

そんな本の虫のための本こそ「本の虫の本」(創元社)である。

本の虫の本

本の虫の本

 

本に埋もれて、生きる。

本とともに暮らし、本を血肉として生きてきた真性の「本の虫」5人衆がここに集結!
ジャーナリズム、古本屋、新刊書店、装幀など、それぞれが活躍する領域で、
本の世界にまつわるキーワードを並べ、自由気ままに解説する。
本好きの心をくすぐるウンチク満載、
次に読みたい本を見つけるブックガイドにもおすすめ。
すべての本好きに贈りたい、本の世界を縦横無尽に楽しむための案内書。

 

先日(といってもかなり前の話になってしまった)神保町に遊びに行ったとき東京堂書店で偶然目にして、タイトルを見て一目ぼれしてしまった。(後々その日が発売日だったということがわかった!)創元社はSFやミステリで有名な東京創元社ののれん分け前の母体となった出版社で、それも創元推理文庫が大好きな僕が手に取ることになったきっかけの一つである。

 

この本は、ひたすら本にまつわる言葉や思い出などを、5匹の本の虫がひたすらに書き連ねているだけの本であるが、それゆえに本に対する思いが溢れんばかりに詰まっている。

 

「全部読んだんですか?」では、「本をたくさん持っている人に決してしてはいけない質問です。」から文章が始まる。
読書好きな人にとっては、積ん読は読書の一部だ。だから全部読んだかなんて質問は、野暮であり、禁句なのだ。そして中には面白くない本も、到底最後のページまで読めない苦痛な本もあるわけであり、「全部読んだか?」と聞かれれば、「あの本は途中で読むのをやめたから、全部読んだとは言えない。」と屈辱的な返答をするしか無くなってしまう。だから、決してしてはいけない質問なのである。

 

細かいことは言わない。

下記の目次の中で、一つでも気になった項目があればそれはこの本を読むべきであるし、きっとあなたは本の虫なのである。

 

▼第一章 ハヤシウンチククサイムシ
犬耳する/自転車操業/全部読んだんですか?/つんどく/小脇にはさむ/作家/
女は女である/受贈本/ビブリオマンシー/四百字詰原稿用紙/本を食べる/SM/
100冊/フィロビブロン/たのしみは/読書会/エブリマン/たった一度の広告/
本の木/空飛ぶ本/ゆっくり読む/青木まり子現象/本棚崩壊/ゲタとイキ/
たいせつなことは目に見えない/本は泣いているか/√2矩形/
古本はチョコレートの匂い/新刊はゆまりの匂い…など

▼第二章 ノムラユニークホンヤムシ
靴跡/うろ覚え/カバーおかけしますか/みつからない/倉庫さらえ/埃/
本屋と子ども/本を贈る/猫を抱いて本屋になる/客注台帳/この本、ありますか/
檸檬/装丁で並べる/不良な本/夢に見た本/検索/スリップ/本屋で本は読めるか/
本を包む/フリーペーパー/オンラインショップ/本屋泣かせの本/面陳/棚出し/
座り読み/ZINE/本屋で一人きり/ちょっとした偶然/小さな出版社/本屋と喫茶

▼第三章 オギハラフルホングラシムシ
はしご健康法/古書の壁/背表紙と匂い/本の山/せどり今昔物語/電子書籍/
活字中毒の漫画家/帯と函/ネット古書店/作家の不遇時代/本の友/掘り出し物/
修練/倦怠感/ミステリー料理事典/蒐集癖/小さな町にて/理想の住まい/整頓/
イン&アウト/編集者/ききめ/ツブシ/雨の日/ジンクス/マタイ効果/別名/
再読率/書物の敵

▼第四章 タナカコケカメムシブンコ
インターネット/倉庫問題/店番危機/古本屋の中の新刊書/汚れ落とし/
消しゴムと線引き/本屋の匂い/紙袋の判子おし/紙魚/組合未加入/店猫/看板猫/
品揃え/自著/記憶の底の古本屋/郷土作家/値札/買取り/変な配置/
本ではないもの/本と水/腰痛/蟲の字

▼第五章 オカザキフルホンコゾウムシ
本とつきあう法/講談社文芸文庫/ご当地小説/ティッシュボックスの空き箱/
索引および人物紹介/本の虫の大敵/本のページを開く日/トイレ本/
半世紀前の未来とは?/野球場内にあった古本屋街/アクセサリーとしてのポケミス/
本の運命/ライト・ヴァース/漫画が教えてくれた/児童書だってバカにできない/
本の夢/単行本/編集者/白い本、黒い本/点と線/「本の虫」名言集/本の埃/
同じ本を何冊も買う/自装本/読書の守護神/豪華本・限定本/日めくり本/
スクラップブック/古い観光ガイド/おすすめの本

 

Still Doing it! 高齢者の性に焦点をあてた ーー紗倉まな「春、死なん」

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今回は、群像10月号に掲載されている、紗倉まなさんの「春、死なん」を読みました。

群像 2018年 10 月号 [雑誌]

群像 2018年 10 月号 [雑誌]

 

 

紗倉さんの作品は「最低。」と「凹凸」を読ませて頂いていました。前二作は私小説的な作品でしたが、今回の「春、死なん」は高齢者を主人公にした文芸誌デビュー作ということで、発売前から読むのを楽しみにしていました。

残念なことに、地震の影響で北海道への配送が遅れ、手に入れることができたのは9月12日でしたが、物流会社の迅速な対応のおかげで3日の遅れ程度で読むことができました。ありがたい限り。

 

 

物語の主人公は、妻・喜美代がなくなり、二世帯住宅の片側に一人で暮らす独居老人、富雄、70歳。目がぼやけ「何かある」状態や躁鬱的な違和感が、日常的にあらわれはじめる。医者には老人のたわごとのように扱われ、隣に住む息子夫婦とも交流は少なく、誰にもこの不調を理解してもらえない日々が続く。

 

そんな不調に悩まされながら、不調とは別の一つの問いが、富雄の頭の中を駆け回る。喜美代が亡くなった今、「自分は、なんのために生きているのだろうか」。

愛する妻を失い、高齢者の増加が社会問題となり世間的な立場は狭くなるいっぽう。自分の存在を認められるような自信も、何かを成し遂げようという思いも、老化とともにどこかへ行ってしまったのか、あとはもう死ぬだけだというように、富雄は頭の中で独り言ちる。

 

しかし富雄にも一つだけ消えない欲があった。それが性欲。若い頃ほどでないとしても、未だ枯れない性欲に、スマートフォンを使えない富雄は、コンビニでDVD付きのエロ本を買うことでなんとか、欲を満たしている。

 

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実際に、性欲が減退しない高齢者は多く、溜まり溜まった欲望から衝動的に介護者を襲ってしまうケースもあるとのことで、アダルトグッズで性欲を解消させるという動きも出てきている。それほど高齢者の「性」は社会問題なのであり、紗倉さんはそこに一石を投じているのだと思う。これは男性に限った話ではない。

 

富雄はその後、古い友人とセックスをすることになるが、行為の最中に亡き妻の顔が浮かび不調が悪化する。亡き妻への二重の罪悪感と抑えきれない性への衝動に富雄は自暴自棄になる。

 

なぜ妻を狂わせるきっかけを作り、見過ごしてきてしまったのか。

なぜ亡き妻を忘れ、他の女性と性行為をしてしまったのか。

そして良いおじいちゃんでありたいと願いながらも、男としての性欲に抗えないのか。

 

その苦悩は、血縁のない息子の妻の言葉で解放される。自分を守るために見ないようしていたことと向き合うべきだと。そして、高齢者だって性欲があることは恥ずかしいことではないのだと。亡き妻との時間を胸に、まだ70歳、死ぬまで自由に生きてもよいのだと。そう自覚した瞬間、富雄は悩まされてきた不調から解放されたのだった。

 

僕は、老人は死を待つだけなのだろうか、老人ホームで死ぬまで静かに生きて幸せなのだろうかと思うことがある。言い訳がましいが決して悪意があって言っているわけではない。今からただ不安なのである。そして老人になっても性欲がなくならなかったらどうしようかと恥のように考えてしまうこともある。自分の父親や母親ならまだしも、祖父母が性に奔放だと気持ち悪いと感じてしまう、そんな暗黙的な認識がある。

 

この小説が、高齢者自身もその家族も、「高齢者の性」の認識と理解、そして受容できるような社会を形成する一助になったら良いなと思う。

イギリスでは高齢者を自発的な生き方を支援する慈善団体が、高齢者の性についても相談や世間との認識のギャップの縮小に取り組んでいる。

www.independentage.org

 

 

「願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ」と西行は詠った。できれば自分にとって最高の死に方で死にたい、と。「終活」という言葉が流行り、人生100年の時代、そして僕たちにもいずれ来る未来、長い余生をどのように過ごすか、どう満足して死んでいくかは重要な最後の意思決定になるのでしょう。きっと富雄は自分らしい余生の過ごし方と死に方を見つけられるはず。

 

ちなみに僕が詠むならこんな感じ。

 

願わくは本の下にて春死なん その積む読の終わりたるころ

 

まだ死ぬのは勘弁ですが、本に埋もれて死にたいと読書好きな人はみんな思うはず。積ん読が読み終わったらね。

 

ではそんな感じで。今後の紗倉さんの執筆活動にも期待が高まる、そんな一冊になりました。

戦う者の歌が聞こえるか? ーー市川憂人「グラスバードは還らない」

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今回は、市川憂人さんの「グラスバードは還らない」(東京創元社)を読みました。

 

グラスバードは還らない 〈マリア&漣〉シリーズ

グラスバードは還らない 〈マリア&漣〉シリーズ

 

(Amazon 内容紹介より引用)

マリアと漣は、大規模な希少動植物密売ルートの捜査中、得意取引先に不動産王ヒュー・サンドフォードがいることを掴む。彼にはサンドフォードタワー最上階の邸宅で、秘蔵の硝子鳥(グラスバード)や希少動物を飼っているという噂があった。捜査打ち切りの命令を無視してタワーを訪れた二人だったが、あろうことかタワー内の爆破テロに巻き込まれてしまう! 同じ頃、ヒューの所有するガラス製造会社の社員とその関係者四人は、知らぬ間に拘束され、窓のない迷宮に閉じ込められたことに気づく。傍らには、どこからか紛れ込んだ硝子鳥もいた。「答えはお前たちが知っているはずだ」というヒューの伝言に怯える中、突然壁が透明になり、血溜まりに横たわる社員の姿が……。鮎川哲也賞受賞作家が贈る、本格ミステリシリーズ第3弾!

 

市川さんの作品は鮎川哲也賞を受賞した「ジェリーフィッシュは凍らない」を読んで以来、その本格ミステリの完成度の高さと客観視に努めた静謐な文体にハマり、新作が出ては即買い・即読みをしている作家の一人です。今回の「グラスバードは還らない」もKindle版発売と同時に即DLしました。

 

今作はマリアと漣の登場ページ数が全二作よりも控えめのように感じましたが、洋画顔負けのマリアのアクションシーンはパワーアップしています!必見!

 

もちろん、本格ミステリも忘れてはいけません。

 

僕もそれなりにミステリを読んでいるので、「窓のない迷宮」の謎や「社員は誰に殺されたのか」などは、読みながらきっとこうだろうなと、解明することができました。

 

本文中にガラスの製造会社の話、特に半導体や負の屈折率を持つ電磁メタマテリアルの話も出てきていました。条件提示が親切だし今回の構造や謎の解明は楽勝!と思って読んでいましたが、さらに読み進めていくと、それは物語の核心である大きな謎をささえる、些細な、小さな謎の一つでしかないのだということに気づかされます。

 

そうです。本タイトルに使われている「グラスバード(硝子鳥)」の謎です。

 

小説の70%ぐらいでこのグラスバードの謎に対する回答がマリアから告げられます。僕にとっては、思わず「えっ」と言いたくなるような、突飛な回答でした。

 

しかし、ここからの30%がすごかったです。作者の圧倒的筆力によって、その「えっ」が突飛ではないと納得させられてしまいます。完全にねじ伏せられました。謎の一番根幹を提示されてもなお、ページをめくる手を止めさせてはくれませんでした。Kindleですが。

 

そして謎を解明した後もただでは読み終われせてはくれません。ラストがとてもよかったです。僕はアーナルデュル・インドリダソンのエーレンデュル警部シリーズが好きなのですが、その美しく悲しいラストはそれを思い出させてくれました。読み終えた時、タイトルの意味がより味わい深いものになることは間違いありません。

 

前二作を読んだ人向けの小ネタも挟まれており、市川さん、もうお腹いっぱいですよ。もちろん今作から読んでも十分楽しめます。是非読んでみてください。