読書ノート

札幌在住の26歳。読書が好きで読書感想ブログをちまちま書いています。特に推理小説が好きですが、どんなジャンルの本でも読むように心がけています。おすすめの本は通年募集中です。

芥川賞受賞! 山下澄人著「しんせかい」に書かれた【先生】への思いを考える(書評)

 

こんにちは。

先日芥川賞直木賞の発表がありましたね。

 

今回は、第156回芥川賞を受賞された山下澄人さんの「しんせかい」を読みました。

 

しんせかい

しんせかい

 

 (以下Amazon 内容紹介より引用)

十代の終わり、遠く見知らぬ土地での、痛切でかけがえのない経験――。19歳の山下スミトは演劇塾で学ぶため、船に乗って北を目指す。辿り着いたその先は【谷】と呼ばれ、俳優や脚本家を目指す若者たちが自給自足の共同生活を営んでいた。苛酷な肉体労働、【先生】との軋轢、そして地元の女性と同期との間で揺れ動く思い。気鋭作家が自らの原点と初めて向き合い、記憶の痛みに貫かれながら綴った渾身作!

 

著者の山下さんは、「北の国から」「優しい時間」などで有名な倉本聰さんの主宰していた富良野塾の2期生として舞台俳優から脚本家、小説家となった方で、今回の「しんせかい」はまさにその【先生】=倉本聰さんの演劇塾のある【谷】=富良野塾で過ごした一年を映したような作品でした。

 

 山下さんのほかの作品は読んだことがありませんでしたが、いつもは実験的小説で話や場面展開が飛躍する読みづらさがあったが、本作品は今までのテイストとは違った読みやすさ、であるといったようなニュアンスの感想をよく拝見します。山下さん自身は今までの作品と何ら変わりないと認識していましたし、倉本さんはまだ読みづらいと言っていたらしいですが(笑)

 

富良野塾の話をもう少し。

 

 先日、富良野演劇工場にて、富良野塾のOBOGが主宰する富良野GROUPの公演「走る」を観劇してきました。倉本さんがかかわる富良野GROUP最後の脚本(演出、のほうが正確でしょうか)ということもあって、すごいにぎわいでした。倉本さんご本人もいらっしゃいました。

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 「走る」は、1997年の公演以来およそ20年ぶりの公演ということもあって、メッセージの根幹は変えず、ただし現代社会へとリアレンジした形での公演でした。僕が6歳の時ですね。The North Faceとコラボレーションした衣装を着た「人生」のマラソンランナーたちが1年を「走る」過程で様々なことが起き、学び、ゴールし(ゴールとは何か?)また走り出す......。他の作品(「谷は眠っていた」「ノクターン」「明日、悲別で」など)とは違って、感動するというよりはいろいろと考えさせられる作品でした。お客さんの笑い声や涙、拍手も舞台の一部だとして、男色や方言が笑いの種として扱われているようにとらえられてしまっていたのは残念でしたが。いや、しかし、ただただ舞台に引き込まれました。もう一度見たい。見たい。現在公演中ですので、興味のある方はお早めに。

www.kuramotoso.jp

 

さて、「しんせかい」の話に戻ります。

 

山下澄人さんのような山下スミトは、倉本さんのような【先生】が誰とも知らず、ただほかの同期のように明確な目標があったわけではなく、単身兵庫から富良野塾のような【谷】へいきます。そこで【先生】や1期生から様々なことを学び、地元の女性や同期の女性への恋心(まではいかないかもしれない)に揺れ動き、etc...などといった普通の青春体験よりはちょっとorかなり濃い青春を1年間味わいます。と要約するとこんな感じ。かなりさらっとしています。

 読み終わった時に、3つの疑問がわいてきました。①タイトルの「しんせかい」とはどういうことなのか、ということと、②最後の2行は?、③そして最後の最後の、2年目についてあっさり書かれた1行の文章はなにか、ということです。

(「しんせかい」の最後の2段落の文章より引用)

どちらでも良い。すべては作り話だ。遠くて薄いその時のほんとうが、僕によって作り話に置きかえられた。置きかえてしまった。

それから一年【谷】で暮らした。一年後【谷】を出た。

それについて、僕なりに考えてみました。

きっとこの「しんせかい」は、やっぱり倉本さんと過ごした富良野塾の話をノンフィクション的に描いた作品だと思います。思いたいです。書籍のタイトルの筆の字は、倉本さんに書いていただいたそうです。ただ何となく(失礼は承知で)俳優になりたいと思っていたスミトくんにとって、その10代最後に倉本さんたちと富良野塾で経験した1年は彼にとってとても濃密なものであって、彼の将来のベクトル決めることとなった、彼にとっての「しんせかい」であり、さらなる「しんせかい」をひらくきっかけになったものなのだと思います。

そして「しんせかい」は1期生の旅立ち(「谷は眠っていた」も参照)のあと、急速に温度が下がっていったように小説の幕が下ります。どちらでも良い、すべて作り話だ、と。富良野塾2期生が入ったのは1985年、今から30年前です。この物語はおおむね「スミト」目線で語られますが、時折「澄人」目線で語られます。この文章は「澄人」の心境なのだと。当時はどれだけ濃密だった体験も、30年もたてば細部からやがて記憶が遠く薄れてきます。結果としてノンフィクションにフィクションを重ねた形で書くことになってしまった、そんな自分の記憶のふがいなさに、「ああ、僕にとっての『しんせかい』もこんなに創作であふれてしまった時点で、もうこれはただの作り話でしかないのだ」と「澄人」はしたためて、筆をおいたのでしょう。(執筆はスマホですが)

もしかしたら「澄人」は2年目ももっと書きたかったのかもしれません。「スミト」は実際に2年目も濃密な時間を過ごしてきたのでしょうから。しかし経験は、初めての時が最も濃密に、新鮮に記憶に残ります。何も知らない街へ単身のりこんで、やったことないことばかり知らない人たちと体験していく。2年目より1年目のほうが記憶は濃密でしょう。そんな1年目ですら作り話になってしまった。いわんや2年目をや。

2年目の物語なんて完全にフィクションになってしまう、それならここですっぱり終わらせたほうがいい、なんて思ったのでしょうかね。倉本さんのことを思って。

それが却って、余韻として、2年目はどうしたのだろうか、などと考えさせられるのですが。

 

「しんせかい」は単なるさらっと読める青春小説だけではなく、倉本さんと山下さんの絆を感じさせるような深い物語なのだと思います。

 

 

 

次は直木賞恩田陸さんの「蜜蜂と遠雷」を読もうと思います。 

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ぼくのりりっくのぼうよみと落合陽一氏の対談を考える

全国的に冷え込むことが予想され、北海道も強烈な寒気に襲われている。らしい。

世間での出来事は知らないが、少なくとも家の水道が凍結したことだけは確かだ。

今後少なくとも2日間は水が出ない可能性もある。

どうしましょう。

 

しかし僕にとって、うれしいニュースが続く。

 

僕は藤原さくら、ぼくのりりっくのぼうよみ、池田エライザのファンだ。

もちろん、宮崎あおいBUMP OF CHICKENのファンであることも忘れていない。

それは些細なことだと思う。

 

natalie.mu

 

朝からうれしいニュースが舞い込み、今年一番の13日間の中で一番のうれしい話題であった。

僕の好きな藤原さくらと僕の好きなぼくのりりっくのぼうよみと僕の好きな羽海野チカのコラボレーションがみられるとは、朝から飛び跳ねたくなるように記事をサラリと呼んだ。

 

そして、今日の22時から始まった藤原さくらのツイキャスにて、

3月のライオンのテーマソングを歌うことの報告

スペースシャワーミュージックアワードのベストブレイクスルーアーティストにノミネートされたこと

③2月ぐらいにファンクラブができる予定だということ

が報告され、なぜかそのタイミングで全く関係のないぼくのりりっくのぼうよみの(携帯代に含めて引き落としなのが気に入らない)ファンクラブに入会した。

つい先日まで会員限定でワンマンツアーの申し込みがあったのに、それが終わった直後になぜか入会した。なぜかはわからない。

 

そして今日の何よりの出来事はまさにこれである。今日一でエモいやつ。

noahs-ark.click

 

ノアの方舟。ぼくのりりっくのぼうよみがクラウドファンディングサイトCampfireで集めた資金を元手に期間限定のオウンドメディアを運営する試み、そのサイトが公表されたのである。

ぼくもしがないパトロンの一人である。

ぼくのりりっくのぼうよみが10人の(言葉を借りると)エモい人たちと対談するジュウエモ企画の第一弾としてメディアアーティストの落合陽一氏との対談が公開された。

 

その対談の内容がとても興味深い(なぁ、って言える自分かっこいいと思われたいだけで、実際にはただ水面に浮かんだ藻屑を漁っているだけだけど、考えてみる分にはタダだよね)と思ったので、自分なりに斟酌してみることにする。

 

対談のテーマは「情報洪水の中での生き方」である。

対談の内容を完結に記載すると以下のようになる。

いや、かなり咀嚼している。

 

①僕たちは、自由意志を失う哲学的ゾンビになりかねない。「生きながらにして死」と隣り合わせの状態である。

②自分にとっての情報を取捨選択できるように、他者を参照した「相対的な確固たる私」を持つ必要がある。

③今後、実質と物質、機械と人間等の区別がつかなくなる。非合理的な規範を作成することが自由意志を持つ私たりえる。

④音楽も規範が教義される経典の一つかもしれない。

⑤自我=身体となっていく将来、自由意志そのものというよりは、自由意志のコントロール(コントロールのコントロール)が重要になってくるのかもしれない。

 

 

情報統制に翻弄された人々は今、情報過多に翻弄されている。トランプ氏がCNNとBuzzfeedは偽のニュースを流すメディアだといったり、DeNAをはじめとしたキュレーションメディアの記事作成の実態も耳に新しい。自ら直接的に入手できる情報はごくわずかであり、僕たちは信用できるものから信用できないものまで様々なメディアを通してしか情報を入手できない。

「私」というものを絶対的に定義づけることは難しい。「私を私付けるもの」は究極的には私自身の身体のみでしかない。いやそれも違うかもしれない。他人の身体に「私が私だと思っているもの」を移植したものは果たして「私」なのだろうか。

自己が他者ではない、と認識することは、たくさんの細かな物差しで片っ端から比べてできたゆえの産物でしかないし、自己=他者であっても、多くの場合は困らないかもしれない。私が私たりえるために、その産物を「私」として大事にしているのだと思う。ただ、その産物を認識しない、自己=他者がフィロソフィカルゾンビーとして蔓延している。僕もおおむねゾンビだ。

AIやVRの研究は今後もものすごい速度で発達していき、ディックやハインライン伊藤計劃らが想像(創造)した未来は現実化するかもしれない。ソード・アート・オンラインのような実質化における事象が物質化に影響する未来は近いし、それ以上のものが実現すると思う。実数と虚数、実像と虚像が存在するなら、「実私(I)」と「虚私(i)」が存在するはずであり、私が私(実私)であるために<head>....<title>[私の名前]</title></head>......とプログラムすることでようやく識閾下に私を保てる。自由意志は規制してこその自由意志なのである。

ハーモニーで嗜好品が規制されるように音楽もまた一種の嗜好品として規制されるような世界になる得るのだろうか。わからない。音楽に言葉や音を発することは必ずしも必要ではないと思う。初音ミクだって音楽だし、頭の中で音楽を奏でられる。自由意志が強制されない限り、音楽は残るのだと思う。そしてそれが私を定義づけるファクターの一つにはなり得るはずだ。

落合陽一氏が挙げていた産業革命以降、人間の代替可能性が人間を定義づける必要性を生み出した。とすれば人間のすべての機能を代替できたとすると、「人間がする」ことは人間を定義づけられなくなり、「人間である」ことだけが人間の定義となる。自由意志は理性的な人間の判断のコントロールであるから、「理性」的な人間は「人間がする」ことはしない。しかしそれは本来の意味でのゾンビとなってしまう。したがって、「理性的な人間として判断のコントロール」するかどうかのコントロールをすることで、あえて自己規範を設けることで、私が私であることが、私として行動し思考することができるはずなのである。

 

さぁ、ノアよ、大洪水を避けるために、ノアにとっての方舟を作るのだ。

 

私にとっての方舟は?

 

しかし、まずは何より、大寒波を救ってほしい。

僕の家の水道の凍結を、救ってほしい。

古都ロンドンを眺める。サラ・ウォーターズ著「荊の城」を読んで。(書評)

こんにちは。

今回はサラ・ウォーターズの「荊の城」(創元推理文庫)を読みました。

 

僕の好きなレーベル、東京創元社創元推理文庫。好きだという割にはまだまだ読めていない小説がたくさんあります。

すこしずつではありますが、読み進めていきますよ。

 

 

 (以下Amazon 内容紹介より引用)

19世紀半ばのロンドン。17歳になる孤児スウは、下町の故買屋の家に暮らしていた。ある冬の晩、彼女のもとに顔見知りの詐欺師がやってくる。さる貴族の息子というふれこみで、〈紳士〉とあだ名されている、以前スウの掏摸の腕前を借りにきたこともあった男だ。彼はスウにある計画を持ちかける。とある令嬢をたぶらかして結婚し、その巨額の財産をそっくりいただこうというのだ。スウの役割は、令嬢の新しい侍女。スウはためらいながらも、話にのることにするのだが……。


*第1位「このミステリーがすごい! 2005年版」海外編ベスト10
*第1位『IN★POCKET』文庫翻訳ミステリーベスト10/総合部門・作家部門・評論家部門
*第2位「週刊文春」2004年ミステリーベスト10/海外部門
*第8位『ミステリが読みたい!2011年版』ゼロ年代ミステリベスト・ランキング海外篇

 

「スウ」と「モード」という二人の少女が数奇な運命に翻弄されながらも生き続ける姿、19世紀のロンドンの姿が目に浮かぶような情景描写、登場人物の重いながらも軽妙洒脱なやり取り。原作者と翻訳者の手のひらの上で転がされているように、何もかもが面白く興味深く、明日も仕事であることを忘れて、寝食を忘れて一気読みしてしまいました。

ミステリでありながらもミステリの枠だけでは収まらない作品でありました。作者のウォーターズはレズビアンであることを公言しており、本作品においてもスウとモードのレズビアン的なやり取りが随所にちりばめられていますが、それが単に淫らではなく耽美なものとして書かれているのは、小説における重要なファクターであることと著者の筆力のたまものだと思います。

また、「クリスマス・キャロル」「二都物語」「大いなる遺産」などで知られるチャールズ・ディケンズの生きた時代になぞらえて、ゆかりの地がオマージュとして書かれている点も見逃せないですね。コリンズ、ドイル、チェスタトンも携えて、古都ロンドンを味わう旅にでたくなります。

 

クリスマス・キャロル (新潮文庫)

クリスマス・キャロル (新潮文庫)

 

 

ちなみに原題は"Fingersmith"。直訳すると指の鍛冶屋すなわち「掏摸」で、これはスウの泥棒稼業や手先が器用なことを示しているのだと思いますが、タイトルの意味はそれだけではなく、手先が器用な人、という意味から、女性のマスターベーションや女性同士のセックスの隠喩であるといわれています。スウとモードの秘め事はレズビアンの作者にとっても一つの主張であったのでしょう。

日本での刊行名は「荊の城」。モードの住むブライア城の直訳ではありますが、「掏摸」では内容が不明確かつ隠喩が伝わらない点や当時の日本社会においてレズビアンを想像させるタイトルでは小説の表面だけを触られてしまう点を懸念したのでしょうか。「荊の城」は雁字搦めになった主人公(モードだけではなくスウも)の状態や世間とは隔絶された情景描写が感じられる良いタイトルだと思いました。「茨の城」じゃあ、コシヒカリになってしまいますからね。

 

題名から結末は見えていても面白い、何度も読み返したくなる本でした。

 

ではでは。

 

 

 

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Drop'sのライブに行ってきました。

こんにちは。

1月8日に開催されたDrop’sの札幌ワンマンライブ "Sweet Journey Blues"に行ってきました。

 

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 (http://drops-official.comより引用)

 

(以下、公式サイトBiographyより引用)

Drop's are......

札幌在住, 女子5 人のロックバンド。 2009 年、同じ高校に入学し偶然出会った、中野ミホ(Vo&G)、荒谷朋美(G)、小田満美子(B)、石橋わか乃(Key)、奥山レイカ(Dr)の5 人でDrop's を結成。
高校2 年生の夏休みに初めて作ったオリジナル楽曲『泥んこベイビー』で挑んだ高校生バンドコンテストでグランプリ獲得。


2012 年7 月に北海道の夏フェス「JOIN ALIVE」への初出演。

2013 年9 月4日には「太陽」をリード曲に据えた、Drop's 初のフルアルバム『DAWN SIGNALS』をリリース。
2014 年3 月には『DAWN SIGNALS』が[第6回CD SHOP 大賞2014"北海道ブロック賞"]を受賞。
2014 年5 月、1st EP「コール・ミー」、7 月には2nd フルアルバム「HELLO」をリリース。
2014 年8 月全国ツアー"Drop' s「HELLO」TOUR 2014"(全9 公演)を開催、大阪・東京(SOLD OUT)・札幌(SOLD OUT)はワンマン公演。
2015 年4 月には3rd EP「未来」をリリース。7月には3rd フルアルバム「WINDOW」をリリースし、"ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2015""RISING SUN ROCKFESTIVAL 2015 in EZO"への出演も果たす。9 月、Drop's ONEMAN TOUR 2015 「View from WINDOW」開催。 2016 年春公開の話題映画『無伴奏』、初夏公開の映画「月光」の2 作の主題歌を担当。3 月にワンマンツアー「Drop's 2016 TOUR MARCH WITH ME」4 月"ARABAKIROCK FEST.16"への出演、「ミュージック・ジャケット大賞 2016」にて 3rdFULL ALBUM「WINDOW」が準大賞を受賞! 5 月25 日 4th FULL ALBUM「DONUT」をリリース。

2017年1月8日、Drop's ONEMAN LIVE「SWEET JOURNEY BLUES」を開催。

 

今回のライブでDrの奥山レイカが左腕の痛みや痺れ等により脱退すること、また活動の拠点を札幌から東京に移すことが決まっており、"Sweet Journey Blues"はその脱退前・上京前の最後のライブとなりました。

cube gardenで17時からのスタート。ちょっと早いスタート時間で、旅立ちのライブでもあったためか、一般受付のほかゲスト受付が。彼女たちの友人やご家族もお呼びしてたんじゃないかなぁ。

会場にはたくさんの人が。以前藤原さくらさんのライブでcube gardenに行ったときは前方シッティングだったので、少人数にしぼったライブという感じでしたが、スタンディングだと300人弱ぐらい入る箱なのでしょうか、満員御礼という感じでした。

 

Drop'sはバンドでの活動のほか、Vo.中野ミホ単独でのステージ出演も多く、そのブルースに合うスモーキーな歌声は同年代だけではなく幅広い世代を魅了するに間違いありません。そして歌声を支えるバンドメンバーは、ブルースだけではなく、等身大の青春ロックや昭和歌謡の様な多様な曲調をバランスよく奏でており、バンド全体の実力は折り紙つきです。

 

今回もライブトークはほとんどありません。Vo.中野が口下手、シャイなところもあって、「こんばんは、ドロップスです、どうぞよろしく」のあいさつ以外は2時間ぶっ通しで歌い続け、引き続ける圧巻のパフォーマンスでした。20曲以上うたったんじゃないでしょうか。「かもめのBaby」「ダンス・ダンス・ブラックホール「太陽」「アイスクリーム・シアター」「コール・ミー」「さらば青春」「未来」「十二月」「ドーナツ」「どこかへ」etc...

ほぼ息継ぎだけで2時間を歌い切ったあと、このライブで脱退するDr.奥山からのメッセージもたった一言だけ。去り際までかっこいい。

 

言葉で多くは語らないDrop'sの東京での活躍を期待してます。

いつまでも口下手であれ。

 

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Drop'sの公式サイトはこちら。

drops-official.com

ゾーイ・ヘラー「あるスキャンダルについての覚え書き」(ランダムハウス講談社)を読みました。

こんにちは。

僕は今日が仕事始め、今年も一年健康に仕事をできるように頑張っていきたいと思っています。

 

今回はゾーイ・ヘラーさんの「あるスキャンダルについての覚え書き」(ランダムハウス講談社)を読みました。

 

あるスキャンダルについての覚え書き

あるスキャンダルについての覚え書き

 

 (以下Amazon 内容紹介より引用)

2003年6月にイギリスで出版され、同年のブッカー賞の最終候補作になった小説です。夫も子どももいる40代の美しい陶芸教師と、教え子の15歳の少年とのスキャンダルの真相を綴るという設定で、実際にあった事件にヒントを得ています。しかし、本書の醍醐味は実はまったく別のところにあります。小説は、美しい女教師シバが赴任してきたときからその一挙手一頭足をじっとみてきた60代の女教師、バーバラの手記というかたちで綴られます。最大の読みどころは、シバとバーバラ、とくにバーバラの内奥を浮かび上がらせる作者の筆力です。年齢も、生まれ育った環境も、容貌の美醜も、すべてが自分とは異なるシバが、教え子とのスキャンダルによって家族からも地域社会からも糾弾され、打ちのめされていく様子を、バーバラはなんともいえない語り口で書きつづっていきます。傍目には、バーバラはシバの擁護者でありながら、人間の有り様とはそれほど単純ではないということが、じわじわと読む者に突きつけられてくるのです。

 

 内容紹介にも記載されている通り、2003年に刊行され、同年のブッカー賞候補となりました。惜しくも「ヴァーノン・ゴッド・リトル 死をめぐる21世紀の喜劇」(都甲幸治訳)に受賞を譲ってしまいましたが、2006年に映画化されたりと大きな話題を呼んだ著作です。

 というのも、本作品は、1997年にアメリカで実際に発生したメアリー・ケイ・ルトーノー事件として話題となった事件をベースとして書かれています。もちろん事件とは内容を改編しており、小説としてはフィクションになってます。

 

 

 小説は題名の「覚え書き」(原題:Notes on a Scandal)のとおり、主人公シバの様子を自称親友のバーバラが個人的な手記としてまとめている、という体裁をとっています。実際の事件では、主人公の夫が主人公の不倫相手である未成年の少年とやり取りした手紙を発見したことから内情が発覚するため、このバーバラはオリジナルのキャラクターだと思われます。

 本作の面白いところは、まさにこのバーバラの手記がそのまま刊行されているという体裁をとっているところにあり、その記載が客観的事実に基づいて記載されているものというよりは、孤独な老人(というには若いかもしれませんが)であるバーバラの主観的な判断で書かれており、時折見えるバーバラの傲慢さもシバや他の人に転嫁することであくまでも「私はこんなに寂しいのに、あなたはわかってくれない。わかっているなんてそんな投げやりに言わないでほしいの」と傍観者でありながら自己擁護に徹する内情が垣間見えます。後半の取り消し線が加えられた文章は、あからさまではあるもののそのバーバラの自分勝手な心情をより印象付けるものになっています。

 

 また、実際の事件では性的な関係を持った少年との間に女児を儲け、児童レイプ罪で懲役7年5か月の求刑、その後少年が擁護する主張をしたことや世間が同情したことから、少年に合わないことを条件に6か月の求刑を受けました。仮釈放後、同じ少年と再び性交渉を行っているところを警察に目撃され再逮捕されましたが、出所後、成年となった少年と最終的に結婚しました。つまり彼女は、二度児童レイプ罪で逮捕されるもその少年と結婚して幸せに暮らしています。形式的には児童レイプであったかもしれませんが、彼らにとっては禁じられた愛だったのかもしれません。

 一方で小説では、彼女が未成年と性交渉を行ったことが発覚してマスコミなどの糾弾からバーバラとシバが雲隠れするところで終わっています。もちろんこれもバーバラの手記によるところであり、彼女が職場の同僚にシバの不倫をたきつけ、シバに手記を見られて絶縁状態となったものの和解した、との記載そしてこの終わり方は彼女の理想だったのかもしれません。言及はされていませんが、バーバラはシバに対して職場の同僚以上の感情を持っていた、レズビアンだったのかもしれません。先述した斜線部以降の記載は、小説上の事実とすら異なっているのかもしれませんね。

 

 去年、何かと話題となった不倫問題ですが、あそこまで反響が大きかったのもマスコミがたきつけたせいかもしれません。今では当時と違ってSNSも火付け役に加わっていますが。

 

かもしれません、ばっかりでしたが、今回はこれで。

 

 

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