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僕の読書メモ

札幌在住の25歳。読書とコーヒーと服が好きです。上手な文章を書けるようになりたいです。

芥川賞受賞! 山下澄人著「しんせかい」に書かれた【先生】への思いを考える(書評)

 

こんにちは。

先日芥川賞直木賞の発表がありましたね。

 

今回は、第156回芥川賞を受賞された山下澄人さんの「しんせかい」を読みました。

 

しんせかい

しんせかい

 

 (以下Amazon 内容紹介より引用)

十代の終わり、遠く見知らぬ土地での、痛切でかけがえのない経験――。19歳の山下スミトは演劇塾で学ぶため、船に乗って北を目指す。辿り着いたその先は【谷】と呼ばれ、俳優や脚本家を目指す若者たちが自給自足の共同生活を営んでいた。苛酷な肉体労働、【先生】との軋轢、そして地元の女性と同期との間で揺れ動く思い。気鋭作家が自らの原点と初めて向き合い、記憶の痛みに貫かれながら綴った渾身作!

 

著者の山下さんは、「北の国から」「優しい時間」などで有名な倉本聰さんの主宰していた富良野塾の2期生として舞台俳優から脚本家、小説家となった方で、今回の「しんせかい」はまさにその【先生】=倉本聰さんの演劇塾のある【谷】=富良野塾で過ごした一年を映したような作品でした。

 

 山下さんのほかの作品は読んだことがありませんでしたが、いつもは実験的小説で話や場面展開が飛躍する読みづらさがあったが、本作品は今までのテイストとは違った読みやすさ、であるといったようなニュアンスの感想をよく拝見します。山下さん自身は今までの作品と何ら変わりないと認識していましたし、倉本さんはまだ読みづらいと言っていたらしいですが(笑)

 

富良野塾の話をもう少し。

 

 先日、富良野演劇工場にて、富良野塾のOBOGが主宰する富良野GROUPの公演「走る」を観劇してきました。倉本さんがかかわる富良野GROUP最後の脚本(演出、のほうが正確でしょうか)ということもあって、すごいにぎわいでした。倉本さんご本人もいらっしゃいました。

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 「走る」は、1997年の公演以来およそ20年ぶりの公演ということもあって、メッセージの根幹は変えず、ただし現代社会へとリアレンジした形での公演でした。僕が6歳の時ですね。The North Faceとコラボレーションした衣装を着た「人生」のマラソンランナーたちが1年を「走る」過程で様々なことが起き、学び、ゴールし(ゴールとは何か?)また走り出す......。他の作品(「谷は眠っていた」「ノクターン」「明日、悲別で」など)とは違って、感動するというよりはいろいろと考えさせられる作品でした。お客さんの笑い声や涙、拍手も舞台の一部だとして、男色や方言が笑いの種として扱われているようにとらえられてしまっていたのは残念でしたが。いや、しかし、ただただ舞台に引き込まれました。もう一度見たい。見たい。現在公演中ですので、興味のある方はお早めに。

www.kuramotoso.jp

 

さて、「しんせかい」の話に戻ります。

 

山下澄人さんのような山下スミトは、倉本さんのような【先生】が誰とも知らず、ただほかの同期のように明確な目標があったわけではなく、単身兵庫から富良野塾のような【谷】へいきます。そこで【先生】や1期生から様々なことを学び、地元の女性や同期の女性への恋心(まではいかないかもしれない)に揺れ動き、etc...などといった普通の青春体験よりはちょっとorかなり濃い青春を1年間味わいます。と要約するとこんな感じ。かなりさらっとしています。

 読み終わった時に、3つの疑問がわいてきました。①タイトルの「しんせかい」とはどういうことなのか、ということと、②最後の2行は?、③そして最後の最後の、2年目についてあっさり書かれた1行の文章はなにか、ということです。

(「しんせかい」の最後の2段落の文章より引用)

どちらでも良い。すべては作り話だ。遠くて薄いその時のほんとうが、僕によって作り話に置きかえられた。置きかえてしまった。

それから一年【谷】で暮らした。一年後【谷】を出た。

それについて、僕なりに考えてみました。

きっとこの「しんせかい」は、やっぱり倉本さんと過ごした富良野塾の話をノンフィクション的に描いた作品だと思います。思いたいです。書籍のタイトルの筆の字は、倉本さんに書いていただいたそうです。ただ何となく(失礼は承知で)俳優になりたいと思っていたスミトくんにとって、その10代最後に倉本さんたちと富良野塾で経験した1年は彼にとってとても濃密なものであって、彼の将来のベクトル決めることとなった、彼にとっての「しんせかい」であり、さらなる「しんせかい」をひらくきっかけになったものなのだと思います。

そして「しんせかい」は1期生の旅立ち(「谷は眠っていた」も参照)のあと、急速に温度が下がっていったように小説の幕が下ります。どちらでも良い、すべて作り話だ、と。富良野塾2期生が入ったのは1985年、今から30年前です。この物語はおおむね「スミト」目線で語られますが、時折「澄人」目線で語られます。この文章は「澄人」の心境なのだと。当時はどれだけ濃密だった体験も、30年もたてば細部からやがて記憶が遠く薄れてきます。結果としてノンフィクションにフィクションを重ねた形で書くことになってしまった、そんな自分の記憶のふがいなさに、「ああ、僕にとっての『しんせかい』もこんなに創作であふれてしまった時点で、もうこれはただの作り話でしかないのだ」と「澄人」はしたためて、筆をおいたのでしょう。(執筆はスマホですが)

もしかしたら「澄人」は2年目ももっと書きたかったのかもしれません。「スミト」は実際に2年目も濃密な時間を過ごしてきたのでしょうから。しかし経験は、初めての時が最も濃密に、新鮮に記憶に残ります。何も知らない街へ単身のりこんで、やったことないことばかり知らない人たちと体験していく。2年目より1年目のほうが記憶は濃密でしょう。そんな1年目ですら作り話になってしまった。いわんや2年目をや。

2年目の物語なんて完全にフィクションになってしまう、それならここですっぱり終わらせたほうがいい、なんて思ったのでしょうかね。倉本さんのことを思って。

それが却って、余韻として、2年目はどうしたのだろうか、などと考えさせられるのですが。

 

「しんせかい」は単なるさらっと読める青春小説だけではなく、倉本さんと山下さんの絆を感じさせるような深い物語なのだと思います。

 

 

 

次は直木賞恩田陸さんの「蜜蜂と遠雷」を読もうと思います。 

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