読書メモ

札幌在住の26歳。一応公認会計士。ほぼ読書記録ブログと化してます。比較的なんでも読みますが、一番好きなジャンルは推理小説。

小野正嗣「九年前の祈り」(講談社)を読みました。

こんにちは。

今年もあと4日ですね。

 

今回は、小野正嗣著「九年前の祈り」(講談社)を読みました。

九年前の祈り

九年前の祈り

 

 (以下、Amazon 内容紹介より引用)

三十五になるさなえは、幼い息子の希敏をつれてこの海辺の小さな集落に戻ってきた。希敏の父、カナダ人のフレデリックは希敏が一歳になる頃、美しい顔立ちだけを息子に残し、母子の前から姿を消してしまったのだ。何かのスイッチが入ると引きちぎられたミミズのようにのたうちまわり大騒ぎする息子を持て余しながら、さなえが懐かしく思い出したのは、九年前の「みっちゃん姉」の言葉だった──。
九年の時を経て重なり合う二人の女性の思い。痛みと優しさに満ちた〈母と子〉の物語。

 

第152回(2014年下期)の芥川賞受賞作品で、又吉直樹さんの「火花」や羽田圭介さんの「スクラップ・アンド・ビルド」が受賞する一つ前の作品です。

 

僕は「あなたはどのジャンルの小説が好きですか」と聞かれれば「推理小説です」と即答できるぐらい、小さいころから偏った読書しかしてこず、純文学よりはエンターテイメント性に富んだ作品が好きでした。そのため、直木賞受賞作品はおおむね読んでいる一方で、芥川賞受賞作品といえば読んだものは金原ひとみさんの「蛇にピアス」や綿矢りささんの「蹴りたい背中」ぐらい。それも気まぐれで、村上龍さんの「限りなく透明に近いブルー」や森敦さんの「月山」など、基本的には、とっつきにくいやつら、みたいな印象でした。

 

蛇にピアス (集英社文庫)

蛇にピアス (集英社文庫)

 

 

蹴りたい背中 (河出文庫)

蹴りたい背中 (河出文庫)

 

 

そんな芥川賞を少し毛嫌いしているような僕が、ふと芥川賞受賞作品を読んでみようと思うきっかけがあって読んでみたところ、「あれ?昔よりも読めるようになった?」という感覚と、「おかしいぞ」嫌いというよりもむしろすごく好きと思えるようになった気がしました。小学生のときあいつ嫌いと思ってたやつが、久しぶりの同窓会であったらなんかよくわからないけど馬が合う、なんだあいついーやつじゃん。と思えるようなそんな親近感が込みあがってきたのです。ちなみにその時に読んだ本が本谷有希子さんの「異類婚姻譚」で、完全に僕のお気に入りの一冊となりました。

 

異類婚姻譚

異類婚姻譚

 

 そして同じように、村田沙耶香さんの「コンビニ人間」も読み、とても共感できるような作品であることに気づきました。これは僕が昔より成長したからなのかもしれない。しかしそれと同時に、いやそんなことはない、とも。それは好きだと思える作品が増えた一方で、好きではないと思う作品もそこにあったからでした。(今回はしっかり最後まで読みました。)

本谷有希子さ、村田沙耶香さん、川上未映子さんの本は入ってくる。一方で、又吉直樹さん、中村文則さん、西加奈子さんの本はあんまり……という形で。

 

それに関しては、都甲幸治さんらの「世界の8大文学賞」のなかでこのような記載がありました。

武田 1980年代の芥川賞って、該当作なしがやたら多いでしょ。(中略)芥川賞が時代についていけなくなった時期なのかなと思います。

都甲 ここで受賞作の傾向に断裂があるんですね。(中略)90年代以降の受賞者の幹事は違いますよね。ここらへんで賞がアップデートされたんだ。

 芥川賞はこれでこうでこうでなければならん、といった時代から、90年代以降、バブルが崩壊して社会基盤や都市生活構想が大きく変動した時代以降、社会の変化に合わせた形で芥川賞が変容してきた、という感じでしょうかね。たぶん昔僕が読んだ本は、時代と本と切り離された感覚が強かったんだと思います。

 

世界の8大文学賞 受賞作から読み解く現代小説の今 (立東舎)

世界の8大文学賞 受賞作から読み解く現代小説の今 (立東舎)

 

 

さてさて、その「世界の8代文学賞」でもとりあげられていたのが、「九年前の祈り」です。

 

さなえは、フレデリックの蒸発のあと、生まれ育った片田舎に息子の希敏(けびん)とともに帰京し、久々の実家暮らし、というところから物語が始まります。希敏はおそらく2歳前後であるにもかかわらず「引きちぎられたミミズ」のような動きでしか自分を表現できない「問題」を抱えており、それも一つの引き金となって、さなえと希敏を残してフレデリックは消えてしまったのでしょう。

国際結婚、シングルマザー、Uターンとなんとなく今の世相が反映されていて、僕としてより一層物語を想像しやすく、没入できる設定になっているように感じました。

 

あるとき、九年前にモントリオール旅行に一緒に行ったみっちゃん姉の息子が病気であることを知り、希敏を連れてお見舞いに行くことに。

 

それから希敏や自分のことで悩み葛藤するさなえは、ふとあるごとにみっちゃん姉との旅の記憶を思いかえすようになる。

 

船からさなえと希敏が下りるとき、手をつなぎ忘れて希敏が海に落ちそうになり、間一髪その手をつかんだ時、モントリオールで迷子にならないようにみんなで手をつないだこと、ふとした時に手を放し旅の仲間がはぐれてしまったこと、仲間を探してもらっている間に見つけた教会で祈りをささげたときみっちゃん姉がとても長い時間祈りをささげていたことを思い出す。

 

かたや日本の片田舎、かたやカナダのモントリオール

かたやまだ20代の独り身の私、かたや30代のシングルマザーの私。

あの時のみっちゃん姉の祈りが時間と空間を越えて重なる感覚、あの九年前の祈りが今のさなえに向けられているような感覚、そしてさなえの悩みや葛藤から少し解放され前を向いていけるような感覚。

 

自分の悩みや葛藤に、最終的な折り合いをつけたり解決したりすることは、もちろん自分にしかできないのだけれども、でも一方で決して一人だけで生きようとしないで、厳しいこともいうけれどあなたの幸せも祈っていますよ。「地元」にはすぐ話やうわさが広がったりと屋なところもたくさんあるけれど、個人間の関係が希薄になってきている今の社会のなかでも、目に見えないうっすらとしたつながりで少しやすらげる、「地元」ってそんなところなんじゃないかな。

幸せな話ではないけれど、連続する日々の生活の中で、ほのかに何かと誰かとつながる感覚みたいなものに、ほんの少しだけ救済されたような気持ちになれるんじゃないかな、と思わせるような作品でした。

 

うまくまとまりませんでしたが、終わりです。

他の連作短編もあわせて、とても良い作品でした。

 

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