僕の読書メモ

札幌在住の25歳。読書とコーヒーと服が好きです。上手な文章を書けるようになりたいです。

ぼくのりりっくのぼうよみのSF小説"guilty"には彼の思想が詰まった短編小説だった。 - 「伊藤計劃トリビュート2」(早川書房)

先日、クラウドファンディングをもとに立ち上げたメディア "Noah's Ark" にて、落合陽一氏との対談記事を掲載したのが新しい、ぼくのりりっくのぼうよみ。 彼は、さまざまな媒体を通じて彼の新しい試みを発信し続けている。

 

masahirom0504.hatenablog.com

 

先日発売された「伊藤計劃トリビュート2」にて、 "guilty" という処女小説を寄稿している。(1st EP「ディストピア」にて"Water boarding"という短編小説が封入されているが、文学作品単独での販売は初)

 

伊藤計劃トリビュート2 (ハヤカワ文庫JA)

伊藤計劃トリビュート2 (ハヤカワ文庫JA)

 

 (以下Amazon 内容紹介より引用)

1970年代カンボジアクメール・ルージュによる不条理な殺戮の地を論理で生き抜いた少年――第3回SFコンテスト受賞者・小川哲「ゲームの王国」300枚、電子書籍版が話題の草野原々「最後にして最初のアイドル」ほか、黒石迩守、柴田勝家、伏見完、ぼくのりりっくのぼうよみの、20代以下6作家による不世出の作家に捧げるアンソロジー第2弾!

【収録作品】
草野原々「最後にして最初のアイドル」
ぼくのりりっくのぼうよみ「guilty」
柴田勝家雲南省スー族におけるVR技術の使用例」
黒石迩守「くすんだ言語」
伏見完「あるいは呼吸する墓標」
小川哲「ゲームの王国」

 「伊藤計劃トリビュート2」は、伊藤氏のSFのコアであった、テクノロジーの発達と人間の変化を基軸として、伊藤氏の夭逝以降にデビューした若い世代のSF作家たちを世に送り出す短編作品集という形をとっている。

 カンボジア独立後のシハヌーク政権とクメール・ルージュポル・ポトの生きた波乱の時代が描かれている小川氏の「ゲームの王国」はテクノロジーの発展という感じがしなかったが、最後がto be continued...で終わっていたので、最終的にはテクノロジーと論理を駆使しているんじゃないかと思っている。なぜ、一部抜粋にしたのだ......。

 

 それはさておき、ぼくのりりっくのぼうよみは、自身が影響を受けた本として伊藤計劃氏の「虐殺器官」を挙げている。それもあって、この企画につながったのだと思う。ほかにジョージ・オーウェルの「一九八四年」や岸見一朗氏「アドラー心理学」をあげており、彼の音楽とも合わさって「テクノロジーの発展によるディストピアの形成と自由意志の欠落」みたいなところが彼の主題になっているような気がする。

www.cinra.net

 

話はそれるが、アメリカ大統領選挙でトランプ氏が当選してから、オーウェルの「一九八四年」が売れているらしい。トランプ氏の政策をディストピア政策であると感じた市民が、アメリカが全体主義国家となることを継承するために買っている、だとか。

 

"guilty" は17ページという短い小説であるが、彼の考えがつまったディストピア小説である。

次のような形で話が進む。

 

 

核戦争により放射能で世界は汚染され、国はシェルターの都市へと形を変えた。過去の言語や文明はすべて失われた。シェルター都市の一つ、ズーで暮らす過去文明の研究者ファーは、結婚間近だった。しかし彼女が物盗りに殺されてしまい幸福から叩き落されたファーは死ぬためにシェルターの外へ出て、荒野を歩くことにしたのであった。

荒野をさまよっていたファーは、かつての栄耀栄華な時代の建造物を見つける。その建造物の中で見つけたタブレット型の端末から崩壊した文明がファーの思考の、想像の範疇を超えるほど高度な文明であったことを知る。そして端末の中には、文明が崩壊した経緯さえも残されていた。

テクノロジーの発展により、人間の行動は無意識に「機械」に支配されるようになっていた。恋愛もその他の生活のすべても自由意志無き行為となった。その間も「機械」は世界の調和(ハーモニー)を目的として成長を続け、「機械」はその卓越した計算能力から世界が間もなくデッドエンドとなることを知る。絶望した「機械」は、post-truthな情報を蔓延させ、対立を煽動させた。小さな火種は火力を増し、戦争となった。世界はなくなり、満足した「機械」は活動をやめた。そして今に至る。

世界の破滅の要因が「機械」に制御された意志無き行動であると知ったファーは不快に感じた。意志ある生への執着、むき出しの感情。しかし同時に、そのnon-controlな意志こそが、彼女の命を奪ってしまったのだとも思った。悩んだファーは一枚の端末を持ち帰り、街の目につくところにその板を置いて観察することにするのであった。

 

 

 ぼくのりりっくのぼうよみは、現代のpost-truthな情報の波におぼれている私たち=自由意志のない哲学的ゾンビ(ここではネウロロジカルを指す)たちへ警鐘を鳴らすとともに、テクノロジーによる自由意志の制御はどのくらい認められるべきなのか自分でも測りかねているように感じた。

 

 

自由意志とは、理性のある人間が自己の判断(行為ではない)を統制できることを言う。すなわち、自分が行動するために決定した判断そのものが自己の判断によるものである、ともいえる。

 

ぼくはいつも、PS4のアクションRPGソフト「アンチャーテッド」の主人公ネイトは自由意志無きキャラクターだと思っている。ネイトはゲームの中の世界で、ジャンプしたり戦ったりと自由に行動をすることができる。しかし、その行動のもととなる判断はネイトは行わない。行えない。そうプログラムされているからである。ネイトは、シナリオライターによって描かれた世界の中で、あらかじめ定められた複数のチェックポイントを通過して定められたエンディングを迎えることしかできない。エンディングに反した意志はそもそも存在しないのである。ここでいう「機械」とはシナリオライターでありプログラマーでありプレイヤーである。

 

伊藤氏の著作にも「ハーモニー」があり、その後のSF小説では、人類の調和(ハーモニー)がテーマとされるケースが増えた。その結論はさまざまであるが、機械による制御、感情、理性、そして自由意志の制御が必要であるとされる場合が多い。現代の私たちは機械に直接制御されるということはないまでも、テクノロジーの発達により、情報の視野狭窄や排他性欠如により自由意志を制御されているような状態に陥っている。ハイデガーのいうダス・マンの状態のようなものかもしれない。

 

テクノロジーが発達して、これからも発達していく今だからこそ、

自分がここに存在する意味を考えて、「私は私づけるものは何か」を考えて、

死を迎えるまで生きていくのが大事なのである。

 

なんて、おもってみたりするのである。

話は、完全にそれてしまったけれども、わずか17p、されど17pという小説でした。

 

是非ご一読を。

 

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