読書ノート

札幌在住の26歳。読書が好きで読書感想ブログをちまちま書いています。特に推理小説が好きですが、どんなジャンルの本でも読むように心がけています。おすすめの本は通年募集中です。

宮内悠介「あとは野となれ大和撫子」は、中央アジアの昨今を訴えかける社会派エンターテイメント小説でした。

こんばんは。5月です。

といってもすでに後半に差し掛かっています。

 

仕事のほうは相変わらず忙しく、そのせいで土日はほぼ毎週疲れと風邪でダウン、意識が朦朧としながら、小説を読み耽っている。そんな状況です。

 

今回は宮内悠介さんの「あとは野となれ大和撫子」(KADOKAWA)を読みました。

 

あとは野となれ大和撫子

あとは野となれ大和撫子

 

(以下Amazon 内容紹介より引用)

中央アジアのアラルスタン。ソビエト時代の末期に建てられた沙漠の小国だ。この国では、初代大統領が側室を囲っていた後宮(ハレム)を将来有望な女性たちの高等教育の場に変え、様々な理由で居場所を無くした少女たちが、政治家や外交官を目指して日夜勉学に励んでいた。日本人少女ナツキは両親を紛争で失い、ここに身を寄せる者の一人。後宮の若い衆のリーダーであるアイシャ、姉と慕う面倒見の良いジャミラとともに気楽な日々を送っていたが、現大統領が暗殺され、事態は一変する。国の危機にもかかわらず中枢を担っていた男たちは逃亡し、残されたのは後宮の少女のみ。彼女たちはこの国を――自分たちの居場所を守るため、自ら臨時政府を立ち上げ、「国家をやってみる」べく奮闘するが……!?

内紛、外交、宗教対立、テロに陰謀、環境破壊と問題は山積み。
それでも、つらい今日を笑い飛ばして明日へ進む
彼女たちが最後に掴み取るものとは――?

 

内容紹介に詰め込まれること詰め込まれること。

 

2000年代の環境開発の弊害として発生した、アラル海の干上がりによって出来た小国アラルスタン。ウズベキスタンの自治州から独立した国家の大統領が演説中に殺害されて、残された可憐な(?)女の子たちが国家の運営に!あー、もうどうなっちゃうわけ!!

 

と、海外を舞台にしたハーフフィクションを思わせる前半の説明から、後半は一転ライトノベルのようなあらすじに、頭が混乱させられる。買うかどうか迷っていたところに、Twitterでおすすめですよという声があったので、思い切って買ってみたのでした。

 

 

確かに、物語はあらすじのとおりで、間違いないのですが…。

 

 

思っていた以上に、近い過去、今、そして未来の中央アジアで、世界で起こっていることを、起こるかもしれない環境問題や宗教対立、あまたの時事問題を、わかりやすく、そして鮮烈に書かれている、ノンフィクションのようなフィクションでした。

 

これは面白い!!さらっと読めて、そしてためになる。

 

 

もちろん、ありえねーだろ!っていうギャグみたいな展開もあるんですが、読む前と読み終わった後では、中央アジアの知識は雲泥の差、月と鼈です。

 

 

宮内さんといえば、日系二世・三世のアメリカでの生き様をつづった「カブールの園」で話題となりましたが、こちらも「日本ではないところで暮らす日本人(日系人)」に焦点を当てています。海外が舞台の小説も登場人物に日本名がいるだけで、ちょっと読みやすくなっているように感じられるのは気のせいでしょうか。笑

 

 

カブールの園

カブールの園

 

 

「わたしは虐められていただけ。人種差別なんか受けてない!断じて!」

 

この文章を読んだとき、ハッと思いました。

 

「いじめ」も絶対に許されないことですが、人種差別を受けた人たちにとっては、ただの「いじめ」だったらよかったのに、と思ってしまうぐらい根深い苦しみなんだと。

 

僕も中学生の人は、ある特定の人に攻撃される、今でいう「いじめ」のようなものを受けた時期があったけれども、(幸い後に残るほど酷いものではなかったけれど)、差別は受けたことがない。ある意味では当たり前だ、日本に住んでいる日本人なのだから。そして差別をしたという意識もない。

 

しかし、無意識に差別をしているのかもしれない。私たちの先祖は、アイヌを迫害してきた歴史があるし、女性の社会進出以前の性差や職業差別をしてきた\された歴史もあった。だから、今この瞬間、無意識的に誰かを差別してる可能性だって否定できない。ただ、日本はほぼ単一民族であり、「差別」の重さを意識している日本人は少ない。僕だってそう。そして歴史を重んじない。

 

このあいだ韓国から来た男性が「ファッキンコリアン」などと罵声を浴びせられる話があったときもそう思った。酔っ払いからすれば、愛嬌愛嬌、ただの「いじり」のつもりかもしれない。でも、彼は絶対差別だと受け取ったと思う。いじりには境界はないのかもしれないが、差別は完全なる線引きだと思う。俺のテリトリーに入ってくるんじゃねぇと。彼は苦笑しながら立ち去った。

 

きっと僕が彼ならこう言う。

「これは差別じゃないよ。ただのいじりだよ。」

そしてこう思う。

「悔しい。悔しい悔しい悔しい。」

 

いろいろと考えさせられる一文でした。

 

 

日系人が主人公の「カブールの園」とは異なり、「あとは野となれ大和撫子」は両親は日本人で転勤で来たものの、両親が爆発に巻き込まれて、みなしごとなった日本人が主人公。

「日本人」が異物のように扱われるシーンは極力最低限になっていて、中央アジアの情勢をあくまでもエンターテイメントとして昇華させたかった、そこだけに焦点を当てたかったのだろうと思います。

 

純文学(芥川賞)好きには「カブールの園」、エンターテイメント(直木賞)好きには「あとは野となれ大和撫子」がおすすめです。どちらの切り口も面白い宮内悠介さんの作品、これからも読んでいきたいと思います。

 

蛇足ですが、上記2作品を読んでて、関連する気がした書籍をいくつか記載し終わりにします。

 

一つ目は、もしアラルスタンという国があったら、という現実とは異なるもう一つの現実を舞台にしたという点で、知念実希人さんの「屋上のテロリスト」です。

 

屋上のテロリスト (光文社文庫)

屋上のテロリスト (光文社文庫)

 

 

こちらは、もしポツダム宣言が受託が遅くなり、日本がベルリンのように東西に分裂したら、という舞台の小説です。ジャンルは青春ミステリーでしょうか。

 

 

二つ目は、「あとは野となれ大和撫子」でナツキが言っていた、私はいつかこの地に水を戻したい、ただこの地を干せ上がらせたみたいに、またほかの地域に干害をもたらすかもしれない、チョウの羽ばたきが台風を起こすように、みたいな話から。

ズバリですが、思い出すのはこの映画ですよね。

 

 

そしてPS4のゲームも思い出しましたよ。こちらも名作です。

 

 

 

そして三つ目、後宮(パレス)つながりで、といってもこちらは中国ですが。

 

後宮小説 (新潮文庫)

後宮小説 (新潮文庫)

 

 

もう20年以上も前の作品ですが、とても有名な作品ですね。

 

 

 

そして最後に、「カブールの園」で第二次世界大戦下で日本人が収容されていたマンザナーに訪れるシーンがありますが、こちらもそのマンザナーに収容されていた、従軍になった日本人をテーマに書かれたミステリー。

 

青鉛筆の女 (創元推理文庫)

青鉛筆の女 (創元推理文庫)

 

 

これについては、以前記事で触れました。

 

masahirom0504.hatenablog.com

 

 

こんな感じで、最近読んだ小説同士が、リンクしたように感じる時があります。

そんな時ちょっと楽しくなるのです。

 

蛇足でしたね。

 

では。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【読書記録】2017年4月の読書数は24冊でした。

今日で4月も終わりですね。

今月は、仕事が忙しく、労基署にお世話になりそうでならないぐらいには働いていたような気がします。

 

毎日終電で帰るような日々も続く中で、仕事の昼休みなどなんとか時間を見つけてコツコツよみ、今月も24冊を読むことができました。よかった。

 

ただ仕事のストレスで小説を爆買いした結果、読んだ量よりも買った量のほうが圧倒的に多く、どんどん積読がたまっていきます。

今月だけで100冊は買っちゃったんじゃないかな…。ヘミングウェイとか、坂口安吾とか、浅田次郎とか、橘玲とか。

 

今、この文章を書いている僕の真後ろに、その積読たちが堆くいまかいまかと出番を待っている状況です。倒れてきたらどうしましょう。

 

そうそう、今月はこんな面白い本も買いました。

 

世界文学大図鑑

世界文学大図鑑

 

 

ずばり「世界文学大図鑑」の名前の通り、サセックス大学の文学部の講師の主導のもと、日本を含めた古今東西の名作文学が、図解による解説も含めて、350ページにこれでもかというぐらい記載されています。

税抜き4,200円。決して安くない金額ですが、出会って即決で買ってしまいました。笑

本読みの助けになりそうな一冊です。

 

さて、今月の読書報告をば。

 

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今月は24冊読み、2017年累計で現在126冊読んでいます。

 

そして今月読んだ本の内訳はこちら。

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東京創元社と宝島社オンパレードです。

推理小説好きなのが一発でばれるラインナップ。

 

僕自身もYOSAKOIソーラン祭りの運営をしていたのですが、踊り子の目線からYOSAKOIソーラン祭りが描かれた田丸久深さんの「YOSAKOIソーラン娘 札幌が踊る夏」や又吉直樹さんがおすすめしていた中華系アメリカ人のケン・リュウさんのSF短編集①「神の動物園」などがこの中では異色でしょうか。

 

YOSAKOIソーラン娘 札幌が踊る夏 (宝島社文庫)

YOSAKOIソーラン娘 札幌が踊る夏 (宝島社文庫)

 

 

 

紙の動物園 (ケン・リュウ短篇傑作集1)

紙の動物園 (ケン・リュウ短篇傑作集1)

 

 

月村了衛さんの「追想の探偵」は70年代特撮をテーマにした人探しミステリ(というよりは人情ストーリー?)でしたが、特撮の時代を全く知らない僕でも楽しめたのでお勧めですよ!

 

追想の探偵

追想の探偵

 

 

 

そんなところで5月も忙しい日々が続きます。

ゴールデンウィークも毎日出勤で、国民の祝日なんてあったもんじゃありませんが、来月もたくさん読めるといいな~思っています。

 

それではこの辺で。

 

 

 

ぼくのりりっくのぼうよみのすあげのべたぼめ

ぼくのりりっくのぼうよみ、ワンマンツアーツアー2017、札幌@cubegardenに行ってきました!!

 

(ぼくのりりっくのぼうよみ公式Webページ(http://bokuriri.com/)より引用)

 

 

Drop's以来のライブブログですが、ビッケブランカきゃりーぱみゅぱみゅ住岡梨奈山崎あおい、Softly/Anlyなど、実はいろんな方のライブを見に行っていました。そして新年度最初のライブがぼくりり。

 

ぼくりり自体は、昨年のJoin Alive以来の二回目です!その時は一番前で見れたし、そのあとの公開ラジオ収録も目の前で見れたんですが(みんなで写真撮ったの懐かしい!)、今回は仕事が忙しく開始時間ぎりぎりに駆け込んだ(りりTシャツは着てたけど)ので、一番後ろからの観戦です。

 

チケットはSold out、会場内はかなりの混雑具合で、ライブ開始前のBGMなんてのは全く聞こえないぐらいの盛り上がりでした。まだはじまっていないのに。裏でぷよぷよとかやってそうで、ぼくりりおそるべし。

 

ぼくりりが出てきて騒ぎ出す観客を一瞥して、「お前ら全員バカばっか。」から始まったライブは2部構成で、セトリは確かこんな感じ。(あんまり覚えていない)

 

<第一部>

1.Black Bird

2.CITI

〜MC1〜

3.本能 (椎名林檎Cover)

4.sub/objective

5.Collapse

〜MC2〜

6.A prisoner in the glasses

7.Sunrise

 

<第二部>

8.Be Noble

9.shadow

10.在り処

11.予告編

12.対象a (anNina Cover)

13.Water boarding

14.Newspeak

15.noiseful world

16.liar

17.Noah's Ark

18.after that

 

第一部は陽気なぼくりりのフリートークを含めた通常のライブ、第二部はNoah’s Arkの世界観を踏まえたストーリー仕立ての少しシリアスなライブ、という構成になっていてアンコールはなしでした。

個人的には、アンコールありきのライブって微妙な気がするので、アンコール無しなのもよかったと思います。(アンコール用の曲リハとか変な感じするんで。笑)

 

Black Bird,CITIときて最初のMC。テーマは札幌に来て食べたもの、で話し始めたぼくりりですが、話に上がるのは「すあげ」のスープカレーのみ。

www.suage.info

 

前回北海道に来たときに食べてからファンになり、彼曰く、「食べた瞬間に、野菜などの育ってきた背景が普通の値段で食べられるところにびっくりした」らしい。

安いのにうまい野菜のメタ要素、ちょっとわかる気がします。

 

そのあとは椎名林檎さんの「本能」のカバー。曲調や歌詞もぼくりりのそれと似ているので、もはや自分の曲と化していました。

sub/objectiveの前奏で沸き立つ会場。Be Nobleで沸くと思っていたので少し意外でした。札幌。

 

2回目のMCで、札幌の食べ物の話の続きが始まります。次は何の話か楽しみにしていると、二条市場の話に。しかし、10秒ぐらいで二条市場の話がおわり、ふたたび「すあげ」の話に。笑

べたぼめである。すあげのテーマソングでも書いたほうがいいんじゃないの??

すあげの紹介でおざなりになりそうだったメンバー紹介も、一応やってMC終了。Sunriseはちょっと歌詞が飛んでしまったけど、終始楽しい流れで第一部終了。

 

 

うって変わって、第二部はぼくりりの静かなナレーションから幕が上がります。

natalie.mu

 

2nd AlbumのNoah's Arkは旧約聖書と現代の情報化社会の交差がテーマのストーリー仕立てになっている。(と思っている)

産み落とされた現実と不運、存在意義、アイデンティティ、自由意志の剥奪、言葉の定義、絶望、からっぽの世界、そして夜明けと色づいた世界、そういったアルバムの世界観を伝えるように、曲間にナレーションが響いていました。

 

予告編とWater boardingのあいだには、「ひぐらしのなく頃に 解」のエンディングになったanNinaさんの「対象a」のカバー。

 

罪があるのは諦めているから

罰があるのは求めすぎるから

何もかもが置き去りにされて

まわる まわりつづける

 

この歌詞の部分とか、存在意義を失った「予告編」から、それでも世界に抗えずまわりつづける「Water boarding」の間にはぴったりの様な気がしました。

 

ライブ終了後は余韻を楽しむお客さんでいっぱいでした。Join Aliveのときとは変わって人との対話を(うまく)楽しむようになったような気がしました。

楽しかったです。

 

3年ぐらいしたら、「歌うの飽きました、自分の伝えたいことはもう歌に十分詰め込んだので、もう歌出しません。っていったら違約金っていわれた、うける」と言い出すかもしれないので、お早めに。今年のRSRは要Checkです。

rsr.wess.co.jp

 

あと、すあげもごひいきに。笑

 

おわり。

 

 

【読書記録】2017年3月の読書数は38冊でした。

4月になりました。

仕事が猛烈に忙しくある季節が今年も近づきつつあります。

なので、先月は読み溜めしてました。

 

3月の読書数は38冊でした。

f:id:masahirom0504:20170402214213p:plain

 

今年は3か月たたずに100冊突破。結構異常なペースです。

ホント本を読む以外何にもできていないというか…。笑

 

今月読んだ本たちはこんな感じ

 

シリーズものだと初野晴さんの「ハルチカ」シリーズや青柳碧人さんの「浜村渚の計算ノート」シリーズ、そして星新一さんのショートショートシリーズでしょうか。

浅田次郎さんの中国史連作ものも少しずつ読み進めてますが、歴史ものは苦手なのでペース遅めです。もちろん、面白いので読み進められるのですが。

 

単作では、片桐はいりさんのカモメ食堂の北欧ロケエッセイ「わたしのマトカ」や最年少小説すばる新人賞を獲得した青羽悠さんの「星に願いを、そして手を。」、人気AV女優で小説家デビュー2作目の、紗倉まなさんの「凹凸」(最低は途中まで読んでいたものを今月読み切りました。)などが特筆するところでしょうか。どの作品もとても面白かったです。

 

 

4月はいったい何冊読めるのやら、、、という感じです。

今月もがんばりましょう!!

 

 

 

 

追記

 

本棚が足りず、たくさんの本が路頭に迷っております。

電子書籍もコミックと小説で千冊程度はありそう…。

本の整理、どうしたもんでしょうかね~。

 

 

今読みたい!ゴードン・マカルパイン「青鉛筆の女」(東京創元社)を読みました。(ネタバレ含む)

こんにちは。

 

今回はゴードン・マカルパインさんの「青鉛筆の女」(東京創元社)を読みました。

 

 

 

青鉛筆の女 (創元推理文庫)

青鉛筆の女 (創元推理文庫)

 

 (以下Amazon 内容紹介より引用)

2014年カリフォルニアで解体予定の家の屋根裏から発見された貴重品箱。なかには三つのものが入っていた。1945年にウィリアム・ソーン名義で発表された低俗なパルプ・スリラー。編集者からの手紙。そして、第二次大戦中に軍が支給した便箋――ところどころ泥や血で汚れている――に書かれた、おなじ著者による未刊のハードボイルド。反日感情が高まる米国で、作家デビューを望んだ日系青年と、担当編集者のあいだに何が起きたのか? 書籍、手紙、原稿で構成される凝りに凝った物語。エドガー賞候補作。/解説=村上貴史

 

 エドガー賞候補となった本作品の特徴は、内容紹介に記載されているように、①1945年にウィリアム・ソーン名義で発表された低俗なパルプ・スリラー、②編集者からの手紙、③第二次大戦中に軍が支給した便せんに書かれた同じ著者による未刊のハードボイルド、この3つに書かれた文章がかわるがわる登場する。

つまり、小説の体裁としては、2014年にこれらの①~③の書籍・手紙・原稿を発見した誰か(ここでは、マカルパイン氏とする)が、その書籍・手紙・原稿を横断しながら読み進めていった、そのような形に物語が進んでいく。

 

①の書籍、③の原稿とともに、物語の舞台は、1942年、日本がアメリカに真珠湾攻撃を仕掛けたその前後のアメリカ、カリフォルニアである。

①の書籍は、 -ウィリアム・ソーン名義で1945年に発刊された小説「オーキッドと秘密工作員」は、ー 朝鮮系アメリカ人ジミー・パークが主人公となり日本人スパイの女、オーキッドを追いかけた、サスペンス・スリラー小説で、オーキッドは逃がしたもののその片腕のファントムを仕留めたところまでが描かれている。それなりの売れ行きで(後記より)、続編の期待される終わり方であったが、その後続編は出なかった。

③の原稿には、日系アメリカ人の東洋美術史の非常勤講師であるサム・スミダが、映画館でフィルムが切れた途端3週間のタイムトラベルに巻き込まれ、その3週間の間に起きた真珠湾攻撃により日系アメリカ人の迫害に巻き込まれながらも、11か月前に殺された妻、キョーコの殺人事件の真相にせまっていく話が描かれている。

そして間に挟まる②の手紙には、タクミ・サトー(作家ウィリアム・ソーンの本名)とメトロポリタン・モダン・ミステリー社の敏腕女副編集長、マクシーン・ウェイクフィールドとのやり取りが描かれており、それは主に小説原稿(③はその姉妹編であるようである)に青鉛筆(編集者の必須品)でメスを入れ(②)、①の書籍へと変えていったやり取りが描かれている。

 

物語は読んでいくにつれて、①と③の小説が不思議に絡み合って行き、互いにリンクする形で物語が集結する。あっさりと終る物語に、僕も何の変哲もない、さらに言えばただのチープなミステリであるように感じられた。

しかし、それで終わるはずがない。その謎が、最後の10ぺージに表れている。

 

下記は、p273 ③の原稿の最終文より引用したものである。

意識を失う前に最後に感じたのは銃の反動で、最後に聞いたのは銃声だった。

(了)

 

起稿:1943年7月5日、ミシシッピ州ハティズバーグ、キャンプ・シェルビーにて

脱稿:1944年7月3日、イタリア、セシナにて

 

 

また、②の最後の手紙は次のように始まる。

1944年8月23日

カリフォルニア州マンザナー

マンザナー戦時移住センター

ブロック14-1-3

アヤコ・サトー様

 

拝啓

何よりもまず、すばらしいご子息タクミ様のご逝去を心よりお悔やみ申し上げます。米軍に志願なさるまで一年半、親しくお仕事をご一緒出来てうれしゅうございました。軍隊ではご子息は獅子奮迅のご活躍をなさり、まことに名を揚げられました。イタリアのセシナでの勇猛果敢な戦いぶりに対して死後…(中略)

 

つまりこれらの作品の作者であるタクミ・サトーは、1941年12月に発生した真珠湾攻撃がきっかけでアメリカ国内で高まった反日感情、それに伴い強制収容された日系アメリカ人の一人であり、当時の日本による「日系は白人に迫害されている」という批判の対策として築かれた日系人部隊「第100歩兵大隊」として1943年ミシシッピ州ハティズバーグ、キャンプ・シェルビーに送られる。

そして、その「第100歩兵大隊」はときに「第442連隊戦闘団」として第二次世界大戦におけるヨーロッパ戦線に投入された。小説を脱稿したのが1944年7月3日であることやセシナにて死亡したことを鑑みると、おそらくタクミ・サトーが戦死したのは、イタリア戦線における中部イタリア防衛線の渦中であると考えられる。

すなわち③の未刊の小説は第二次世界大戦中、軍人として働いている間に描かれたものであり、①の発表された小説は、真珠湾攻撃前に編集部へと手渡されていたことがわかるのである。

 

しかしこれだけでは終わらない、②の手紙はさらにこのように続く。

タクミが入隊前に原稿を完成させた小説「オーキッドと秘密工作員」は現在、来年の二月に刊行される運びとなっております。…(中略)…契約書では、ウィリアム・ソーンというペンネームで刊行することになっておりますが、ご子息が最近、軍曹の例を受けられたため、二世の勇士が書いたものとするほうが市場でより受け入れられるだろう…(中略)…本書の刊行に関する契約書の変更(具体的に言えば著者名の変更です)は、相続人であるミセス・サトーのご承認をいただかなければなりません。したがいまして同封の権利放棄証書にご署名のうえ、返送していただく必要がございます。

 

 そして、編集後記として(さて、誰が書いたのでしょうか。)、以下のように記載されて、この「青鉛筆の女」の小説が終わる。

…(中略)…丁寧な手書きで「息子は過去数か月間、自分の気持ちを手紙ではっきりと私に知らせてきました。従いまして、ミス・ウェイクフィールド、ご依頼の件はお断りいたします」と書かれ、「アヤコ・サトー、1944年8月31日」という署名と日付が入っていた。…(中略)…

 

 つまり、タクミ・サトーの書いた(内容はかなり改編されているが)小説「オーキッドと秘密工作員」は1945年の2月に刊行予定であるが、その間に戦争にて逝去されたことを鑑み、日系アメリカ人二世として、ウィリアム・ソーン名義ではなく本名のタクミ・サトー名義で出してはどうかとミス・ウェイクフィールドは打診したが、アヤコ・サトーからするとその申し出は憤懣やるかたないものであった。

改訂前の小説原稿では、暴力的な表現を用いておそらく日系アメリカ人が白人によって迫害される様子を克明に描いていたのだが、青鉛筆の女とのやり取りで、主人公や犯人の様相から何から何まで、すべて変えさせられたのだろう。その気持ちを母親に数か月にわたって手紙で気持ちを伝えてきた。おそらく、「もうこの作品はもはや僕が書こうとしたものではなく、表現の自由すら奪われてしまった。この小説はもはや僕が書いたものではない」といったような形で。

それをこの青鉛筆の女は、タクミの名前で出したいだと?タクミが亡くなられたことは本当に残念だが、「オーキッドと秘密工作員」は間違いなく素晴らしい作品だと?タクミがこんなに悩んでいたというのに、どこ吹く風でよくそのようなことが言えたものだ!と、思われたことでしょう。

8月23日におそらくニューヨークから出された手紙は8月31日付でカリフォルニアから返信された。当時のアメリカで東海岸から西海岸まで手紙を送るとすると相当程度日数がかかるはず。8月31日の日付は届いて早々、怒りの返信を行ったものであると想像される。

 

「オーキッドと秘密工作員」がそれなりに売れたことからも、当時のアメリカ世論では日本人や日系アメリカ人が悪者の小説が人気だったことを示唆したものだと考えられる。そしてその読者からすれば、1945年に刊行された小説の真相が70年ぶりに明らかにされたということになる。そしてその真相とは、日系アメリカ人の主張が不当に歪められていたということであったのだろう。

 

本作品のタイトルが「青鉛筆の女」、原題も"Woman with a blue pencil"となっていることからも、主眼が「この小説の作者が日系アメリカ人であり、WW2で戦没していたこと」ではなく、「当時のアメリカ情勢において、小説による日系アメリカ人の主張を不当に虐げられたこと」であることがうかがえる。

 

近年、差別や偏見のない政治的中立性として、ポリティカル・コレクトネスが世界中で謳われている。その中で、ドナルド・トランプ氏による偏見を助長する発言や、しかし一方で口を開けば何でも、それはポリティカル・コレクトネスに反すると批判されることから、過度のポリティカル・コレクトネスが、よけいに差別や偏見を引き起こしている、とも言われている。

 

ポリティカル・コレクトネスの時代とその誤解:なにが「ポリコレ疲れ」を生んでいるのか? | THE NEW CLASSIC [ニュークラシック]

 

こんな記事も。何でも「それは差別だ」「それは偏見である」といった批判的な流れは日本でもそこかしこであがってきている。女性の社会進出だって、平等のように聞こえるが、過度な対応は新たな女性差別や相対的な男性差別にもつながりかねない。

 

アメリカでのポリティカル・コレクトネス疲弊、そして言語の輸入により日本でも頓に書かれるようになったこれらの差別や偏見。

 

そんな時代だからこそ、この作品を読んでみるのもよいのかもしれません。

 

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