WW2後のドイツを追体験する ーー深緑野分「ベルリンは晴れているか」
戦争が終わった。
瓦礫の街で彼女の目に映る空は何色か
ヒトラー亡き後、焦土と化したベルリンでひとりの男が死んだ
孤独な少女の旅路の果てに明かされる真実とは
1945年7月。ナチス・ドイツが戦争に敗れ米ソ英仏の4ヵ国統治下におかれたベルリン。ソ連と西側諸国が対立しつつある状況下で、ドイツ人少女アウグステの恩人にあたる男が、ソ連領域で米国製の歯磨き粉に含まれた毒により不審な死を遂げる。米国の兵員食堂で働くアウグステは疑いの目を向けられつつ、彼の甥に訃報を伝えるべく旅立つ。しかしなぜか陽気な泥棒を道連れにする羽目になり――ふたりはそれぞれの思惑を胸に、荒廃した街を歩きはじめる。
深緑野分さんは「オーブランの少女」でミステリーズ!新人賞佳作に選ばれたのち、「戦場のコックたち」で直木賞候補・本屋大賞候補となった作家だ。
2010年にミステリーズ!に初出していこう8年間で4作と作品数は多くないが、丁寧な下調べと臨場感あふれる筆致で書かれた作品は、まるで海外作家の翻訳を読んでいるような、心地よい錯覚に陥らせてくれる、日本では珍しい小説家だと思う。
前作「分かれ道ノストラダムス」は、正直言えば、深緑さんの良さが失われた、お世辞にも、あまり良い作品とは思えなかっただけに、今作は、タイトルから「これは楽しみ!」と期待していた。なぜならタイトルが「ベルリンは晴れているか」だったから。どう考えても、第二次世界大戦をテーマにしているのは一目瞭然だった。
僕は高校の受験科目で世界史を選択していなかったため、読む前にまずは第二次世界大戦前後のドイツを中心とした諸外国の状況を頭に整理することにした。
まずドイツの対内的関係では、ヒトラー総裁率いるナチス=ドイツが、ドイツの共産主義者や無所属者、ユダヤ人、障害者や同性愛者などを排斥するナチズム(=民族主義)の考えのもと、大量殺戮(ホロコースト)を行なっていた。ユダヤ人を労働力確保と騙して殺害していったアウシュヴィッツ強制収容所がその代表である。なお、強制収容所での悲惨さを綴った書籍として「夜と霧」や「アウシュヴィッツの図書係」を紹介する。
一方対外的関係では、ドイツはポーランドに侵攻し征服する。その後西ヨーロッパ諸国を侵攻し、フランスまで領土を拡大する。ここまでの戦局はドイツが優位に進んだが、アメリカの後ろ盾があるイギリスに遁走、標的をソ連へと変更するも返り討ちにあい、無条件降伏をすることとなった。その後、ヒトラーが自害したドイツは、「ベルリン宣言」によりアメリカ・イギリス・フランス・ソ連の4カ国による統治がなされ、1949年にはドイツが東西に分裂する。この分裂は1990年のベルリンの壁の崩壊に始まったドイツ再統一まで続くこととなる。
というのが、第二次世界大戦前後のドイツ、ひいてはベルリンの状況である。
さて、「ベルリンは晴れているか」は、第二次世界大戦終了後、諸外国の統治下にあったベルリンの、アメリカ軍の兵員食堂で働くドイツ人(アーリア人)の少女アウグステ・ニッケルが主人公となり、一人の死の真相を追い求めるミステリ小説である。
アウグステは、歯磨き粉で毒殺された恩師クリストフ・ローレンツの死を甥エーリヒ・フォルストに伝えるために、NKVDというソ連の内部人民委員部の後ろ盾のもと旅をすることになる。
道中、ユダヤ人俳優のファイビッシュ・カフカ、4分の1ユダヤ人として断種されたヴァルター、男色家ゆえに迫害されたハンスとともにさまざまな事件に巻き込まれるが、ユダヤ人・ドイツ共産主義者、残ナチス、イギリス軍、ソ連赤軍、アメリカ軍との関わり合いの中で、アウグステは成長していく。
物語は、アウグステの過去を綴った幕間(インタールード)を挟みながら綴られていく。本筋もインタールードも、当時の記憶を追体験するような、まるで当時を体験してきたかのような克明な筆致に感服する。そして500ページ弱ある物語にどんどん夢中にさせられる。
ただ、読者は、なぜアウグステはそこまでエーリヒに会うことに固執するのか、なぜカフカは逃げ出さないのか、なぜNKVDは自らエーリヒを招集しないのか、について悶々としながら読み進めていくことにもなる。
そして物語は最終局面を迎えた後、自供、追想、そしてエピローグへと続いていく。戦争が終わったとはいえ、長い氷河期のような時代、ハッピーエンドになったとは言えないが、生きているだけでマシと言える形で物語は幕を閉じる。
ミステリ小説としては「奇妙な味」としても説明しづらいいくつかの部分が気になったものの、細かな歴史的表現と演出、登場人物の来歴に基づくセリフや機微など、歴史小説として圧倒的だったであり、それに比べれば瑣末のようなものである。もちろん作者として、あえて書かないという選択をしたのかもしれないが、肝心の殺人事件の根幹は読者が類推するしかないように感じた。
例えば以下のことが疑問として残った(すこしぼかした記載に)
- 彼女は足が不自由であったのに、ヴァルターとハンスはなぜ彼女から今まで逃げる機会がなかったのか
→単なる地理的要因? - クリストフはなぜ殺される原因となったことをしていたのか
→わからない。謎は謎のままでも良い気がする。 - クリストフはなぜ歯を磨いたのか
→珍しく寝坊して朝の日課をサボった、という記載から想像できる - アウグステはなぜエーリヒの名がなくともNKVDに好意的な扱いを受けていたのか
→これもわからない - クリストフの妻とアウグステの関係性
→これも実際のところはよくわからない - 1945年当時の技術で、白骨からヒ素化合物を検出することができるのか、またそのような手間をかけるのだろうか
→まぁ、きっとなにかあったんでしょう。と有耶無耶にされそうな気がしないでもなのだけれど、死因を特定する意志や技術はあったんだろうか
そんなところで、歴史的表現が超一流な分、ミステリの部分が気になってしまったという細かいお話でしたが、何度も言うが物語はとても面白い。
ちなみに、第二次世界大戦終了後、ユダヤ人の迫害を悔やみ、ユダヤ人への対応は、人一倍気を使っているのだそうだけれど、一方で未だに「反ユダヤ主義」的な過激思想を持った人々がいるということも忘れてはいけない。この物語は過去の物語ではなく、今も続く物語なのである。
深緑さんが寄稿する「たべるのがおそいVol.6」も楽しみだ。