読書ノート

札幌在住の26歳。読書が好きで読書感想ブログをちまちま書いています。特に推理小説が好きですが、どんなジャンルの本でも読むように心がけています。おすすめの本は通年募集中です。

Still Doing it! 高齢者の性に焦点をあてた ーー紗倉まな「春、死なん」

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今回は、群像10月号に掲載されている、紗倉まなさんの「春、死なん」を読みました。

群像 2018年 10 月号 [雑誌]

群像 2018年 10 月号 [雑誌]

 

 

紗倉さんの作品は「最低。」と「凹凸」を読ませて頂いていました。前二作は私小説的な作品でしたが、今回の「春、死なん」は高齢者を主人公にした文芸誌デビュー作ということで、発売前から読むのを楽しみにしていました。

残念なことに、地震の影響で北海道への配送が遅れ、手に入れることができたのは9月12日でしたが、物流会社の迅速な対応のおかげで3日の遅れ程度で読むことができました。ありがたい限り。

 

 

物語の主人公は、妻・喜美代がなくなり、二世帯住宅の片側に一人で暮らす独居老人、富雄、70歳。目がぼやけ「何かある」状態や躁鬱的な違和感が、日常的にあらわれはじめる。医者には老人のたわごとのように扱われ、隣に住む息子夫婦とも交流は少なく、誰にもこの不調を理解してもらえない日々が続く。

 

そんな不調に悩まされながら、不調とは別の一つの問いが、富雄の頭の中を駆け回る。喜美代が亡くなった今、「自分は、なんのために生きているのだろうか」。

愛する妻を失い、高齢者の増加が社会問題となり世間的な立場は狭くなるいっぽう。自分の存在を認められるような自信も、何かを成し遂げようという思いも、老化とともにどこかへ行ってしまったのか、あとはもう死ぬだけだというように、富雄は頭の中で独り言ちる。

 

しかし富雄にも一つだけ消えない欲があった。それが性欲。若い頃ほどでないとしても、未だ枯れない性欲に、スマートフォンを使えない富雄は、コンビニでDVD付きのエロ本を買うことでなんとか、欲を満たしている。

 

www3.nhk.or.jp

 

実際に、性欲が減退しない高齢者は多く、溜まり溜まった欲望から衝動的に介護者を襲ってしまうケースもあるとのことで、アダルトグッズで性欲を解消させるという動きも出てきている。それほど高齢者の「性」は社会問題なのであり、紗倉さんはそこに一石を投じているのだと思う。これは男性に限った話ではない。

 

富雄はその後、古い友人とセックスをすることになるが、行為の最中に亡き妻の顔が浮かび不調が悪化する。亡き妻への二重の罪悪感と抑えきれない性への衝動に富雄は自暴自棄になる。

 

なぜ妻を狂わせるきっかけを作り、見過ごしてきてしまったのか。

なぜ亡き妻を忘れ、他の女性と性行為をしてしまったのか。

そして良いおじいちゃんでありたいと願いながらも、男としての性欲に抗えないのか。

 

その苦悩は、血縁のない息子の妻の言葉で解放される。自分を守るために見ないようしていたことと向き合うべきだと。そして、高齢者だって性欲があることは恥ずかしいことではないのだと。亡き妻との時間を胸に、まだ70歳、死ぬまで自由に生きてもよいのだと。そう自覚した瞬間、富雄は悩まされてきた不調から解放されたのだった。

 

僕は、老人は死を待つだけなのだろうか、老人ホームで死ぬまで静かに生きて幸せなのだろうかと思うことがある。言い訳がましいが決して悪意があって言っているわけではない。今からただ不安なのである。そして老人になっても性欲がなくならなかったらどうしようかと恥のように考えてしまうこともある。自分の父親や母親ならまだしも、祖父母が性に奔放だと気持ち悪いと感じてしまう、そんな暗黙的な認識がある。

 

この小説が、高齢者自身もその家族も、「高齢者の性」の認識と理解、そして受容できるような社会を形成する一助になったら良いなと思う。

イギリスでは高齢者を自発的な生き方を支援する慈善団体が、高齢者の性についても相談や世間との認識のギャップの縮小に取り組んでいる。

www.independentage.org

 

 

「願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ」と西行は詠った。できれば自分にとって最高の死に方で死にたい、と。「終活」という言葉が流行り、人生100年の時代、そして僕たちにもいずれ来る未来、長い余生をどのように過ごすか、どう満足して死んでいくかは重要な最後の意思決定になるのでしょう。きっと富雄は自分らしい余生の過ごし方と死に方を見つけられるはず。

 

ちなみに僕が詠むならこんな感じ。

 

願わくは本の下にて春死なん その積む読の終わりたるころ

 

まだ死ぬのは勘弁ですが、本に埋もれて死にたいと読書好きな人はみんな思うはず。積ん読が読み終わったらね。

 

ではそんな感じで。今後の紗倉さんの執筆活動にも期待が高まる、そんな一冊になりました。

戦う者の歌が聞こえるか? ーー市川憂人「グラスバードは還らない」

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今回は、市川憂人さんの「グラスバードは還らない」(東京創元社)を読みました。

 

グラスバードは還らない 〈マリア&漣〉シリーズ

グラスバードは還らない 〈マリア&漣〉シリーズ

 

(Amazon 内容紹介より引用)

マリアと漣は、大規模な希少動植物密売ルートの捜査中、得意取引先に不動産王ヒュー・サンドフォードがいることを掴む。彼にはサンドフォードタワー最上階の邸宅で、秘蔵の硝子鳥(グラスバード)や希少動物を飼っているという噂があった。捜査打ち切りの命令を無視してタワーを訪れた二人だったが、あろうことかタワー内の爆破テロに巻き込まれてしまう! 同じ頃、ヒューの所有するガラス製造会社の社員とその関係者四人は、知らぬ間に拘束され、窓のない迷宮に閉じ込められたことに気づく。傍らには、どこからか紛れ込んだ硝子鳥もいた。「答えはお前たちが知っているはずだ」というヒューの伝言に怯える中、突然壁が透明になり、血溜まりに横たわる社員の姿が……。鮎川哲也賞受賞作家が贈る、本格ミステリシリーズ第3弾!

 

市川さんの作品は鮎川哲也賞を受賞した「ジェリーフィッシュは凍らない」を読んで以来、その本格ミステリの完成度の高さと客観視に努めた静謐な文体にハマり、新作が出ては即買い・即読みをしている作家の一人です。今回の「グラスバードは還らない」もKindle版発売と同時に即DLしました。

 

今作はマリアと漣の登場ページ数が全二作よりも控えめのように感じましたが、洋画顔負けのマリアのアクションシーンはパワーアップしています!必見!

 

もちろん、本格ミステリも忘れてはいけません。

 

僕もそれなりにミステリを読んでいるので、「窓のない迷宮」の謎や「社員は誰に殺されたのか」などは、読みながらきっとこうだろうなと、解明することができました。

 

本文中にガラスの製造会社の話、特に半導体や負の屈折率を持つ電磁メタマテリアルの話も出てきていました。条件提示が親切だし今回の構造や謎の解明は楽勝!と思って読んでいましたが、さらに読み進めていくと、それは物語の核心である大きな謎をささえる、些細な、小さな謎の一つでしかないのだということに気づかされます。

 

そうです。本タイトルに使われている「グラスバード(硝子鳥)」の謎です。

 

小説の70%ぐらいでこのグラスバードの謎に対する回答がマリアから告げられます。僕にとっては、思わず「えっ」と言いたくなるような、突飛な回答でした。

 

しかし、ここからの30%がすごかったです。作者の圧倒的筆力によって、その「えっ」が突飛ではないと納得させられてしまいます。完全にねじ伏せられました。謎の一番根幹を提示されてもなお、ページをめくる手を止めさせてはくれませんでした。Kindleですが。

 

そして謎を解明した後もただでは読み終われせてはくれません。ラストがとてもよかったです。僕はアーナルデュル・インドリダソンのエーレンデュル警部シリーズが好きなのですが、その美しく悲しいラストはそれを思い出させてくれました。読み終えた時、タイトルの意味がより味わい深いものになることは間違いありません。

 

前二作を読んだ人向けの小ネタも挟まれており、市川さん、もうお腹いっぱいですよ。もちろん今作から読んでも十分楽しめます。是非読んでみてください。

 

 

 

停電の夜に読んでしまった ーージュンパ・ラヒリ「停電の夜に」

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2018年9月6日の未明に発生した地震で、北海道の災害無敵神話も崩れてしまいました。

僕が住んでいたところは震度5強、とはいえ積雪で潰れないよう耐震・免震はしっかりされており、我が家は文庫本3冊が落下する程度の無被害でことなきを得ました。もちろん地震直後に急いで本棚を押さえましたが。

その後すぐに停電となり、回復までには時間がかかると思いすぐさまコンビニで水と食料を調達、モバイルバッテリーの充電は十分にあるからと、惜しみなくTwitterで情報を集める事ができました。

 

つい先日、3階ガスメインの新居に引っ越してくる前は、オール電化の高層マンションに住んでいました。もしそこに住んでいたら、と思うとちょっとゾッとしました。高層階だから揺れがすごいだろうし、オール電化で電気もIHコンロも使えず、組み上げ式ポンプも電気利用だから断水と全てのライフラインが立たれたまま、十階分の階段を水を運びながら上り下りしなければならなかったでしょう。

ちかくに大型病院や地下鉄の駅があるのも幸いでした。根拠はありませんが、停電が発生した時優先されるのは、交通インフラや病院→基地局や物流関係→一般住宅の順だと思います。交通インフラは復旧までに時間がかかりますし、非常用電源も無限ではありませんから病院は直ちに復旧させなければ命に関わります。なので、そういった優先区域と同区画にあったのも幸いでした。

 

北海道全体が停電になった、295万戸が停電といえば大事ですが、断水していない家はわりと呑気なところも多く、河川敷では冷蔵庫の中身をふんだんに使ったいつもより豪華なバーベキューなどが行われており、キャンプ道具の保有率の高い北海道ならではのアウトドアライフが繰り広げられていました。たくましいです。

 

地震から2日経った今、慌ただしさは残るものの、ほとんどいつもの日常を取り戻しています。もちろん、厚真町をはじめとして震源の近い区域では死亡者や行方不明者、怪我人も多数出ていますし、清田区厚別区では断水が長引き、また地盤沈下なども見られ、まだ地震の爪痕は癒えきれてはいません。

 

比較的復旧の早かった我が家ですが、自家用車がありませんので遠くに行くこともできず、災害支援という意味では節電をして、おとなしくじっとしているのが懸命かな、ということで、昼間は河川敷で陽の光を利用して読書、夜はランタンの灯りを使ったりKindleで読書をしていました。いつもとあまり変わらない生活です。

 

被災しているなかで不謹慎ではありましたが、パッとこんな時はこれを読むしかないと思ったものがありました。ジュンパ・ラヒリ「停電の夜に」です。

 

停電の夜に (新潮文庫)

停電の夜に (新潮文庫)

 

 (Amazon 内容紹介より引用)

毎夜1時間の停電の夜に、ロウソクの灯りのもとで隠し事を打ち明けあう若夫婦──「停電の夜に」。観光で訪れたインドで、なぜか夫への内緒事をタクシー運転手に打ち明ける妻──「病気の通訳」。夫婦、家族など親しい関係の中に存在する亀裂を、みずみずしい感性と端麗な文章で表す9編。ピュリツァー賞など著名な文学賞を総なめにした、インド系新人作家の鮮烈なデビュー短編集。

 

停電の夜に「停電の夜に」を読む。旅に出る時は旅の本を読むのが良い、とはよく言いますが、停電の時によもやこれを読むとは思いませんでした。が頭に浮かんでしまいました。原作は"A Temporary Matter"ですが。

 

小説内の停電は雪害の復旧工事のために5日間だけ1時間ずつ計画停電を行うということで、何時間も真っ暗闇というよりはイベントのような感じ。夫婦仲が冷めつつあるシュクマールとショーバがロウソクの灯りに向かい合って、お互いの隠し事を少しずつ打ち明け始めるという物語です。

 

この「停電の夜に」をはじめとする9つの短編集、どの作品も表現が美しいです。読みやすい文章なのですが、必要かつ十分な表現で、アメリカの中で過ごすインド系移民の日常や出来事、アメリカの中でのインドが光る部分を探し求める苦悩が描かれているように感じました。作者自身がインド系二世であり、実際にアメリカで生活した時の苦悩や経験が色濃く反映されているのでしょうか。

 

書かれた作品は多くありませんが、だからこそ他の作品も読んで見たいとおもえるような作品でした。

 

 

地震から一週間は余震に警戒してくださいとのことなので、まだしばらく節電して読書をする生活が続きますが、これを好機として色々な本にチャレンジしてみようと思います。

 

では、お互いに気をつけましょう。

 

 

小説家による小説家の小説 ーーデヴィッド・ゴードン「二流小説家」

 

二流小説家 〔ハヤカワ・ミステリ文庫〕

二流小説家 〔ハヤカワ・ミステリ文庫〕

 

「二流小説家」は2011年文春ミステリーベスト10の第1位、2012年このミステリーがすごい!第1位、2012年ミステリが読みたい第1位、で三冠を達成した、ディヴィッド・ゴードンによる推理小説だ。

 

様々な筆名を使い、ポルノ小説、SF小説、ミステリ小説、ヴァンパイア小説などを執筆する小説家ハリー・ブロックが、連続殺人鬼として界隈を震撼させたダリアン・クレイの告白本を書くことになる。執筆を依頼されたブロックは渋々ながらも筆を進めるうちに、クレイの手口にそっくりな殺人事件に巻き込まれることになる。というのがあらすじ。

 

500ページ超の長編ながら、アメリカ小説ならぬ、繊細で自虐的な主人公と軽妙洒脱な語り口でページのめくる手が止まらない。

 

ただ、読後感はあまり良くなかった。物語は次の一文から始まる。

小説は冒頭の一文が何より肝心だ。唯一の例外と言えるのは、結びの一文だろう。

この小説はスピード感あるサスペンスのように見せながら、この殺人事件が終結したあとまとめ直して執筆したというメタ小説的な立ち位置を取っている。

そのため、途中で小説の引用文が入り、物語の途中で読者への挑戦や小説家としての哲学などが紛れ込ませられている。

 

引用した冒頭の一文、そして結びの一文を読んでも、果たしてその一文が肝心であったのかは甚だ不明だった。

 

書かれた小説の体裁をとって書かれた小説、もいうメタ小説の構造自体がメタ小説なのではないか、と現実の猟奇的殺人の記事を漁ってみたものの、自分が探した範囲では見つけられなかった。

 

しかし、最終ページを読む限りでは、書かれた「小説の体裁をとって書かれた小説」の体裁をとって書かれた小説、のように思えてならないのだけれど。

 

 

 

【ご報告】本の帯に感想が載りました!

 

 

簡単なご報告です。

2018年8月23日に発売された本谷有希子さんの「静かに、ねぇ、静かに」の単行本の帯に僕 ( @masahirom_0504 )の感想を載せていただきました。

 

静かに、ねぇ、静かに

静かに、ねぇ、静かに

 

 

「すごい、なんか、すごい。」

 

わずか12文字(笑)

されど12文字です。

 

以前ブログに載せた感想から引用されたもので、本谷さんのタイトルと呼応するようにSNSの頭文字で書いたところ、印象に止まったようでした。

 

 

masahirom0504.hatenablog.com

 

 

発売日当日に、講談社から献本していただきまして。純文学系の作家の中でダントツに好きな作家、本谷さんからの、僕の名前入りサイン本ということで感涙です。

 

一生の宝物です。

 

是非お買い求めください(笑)